地下鉄(メトロ)に乗って [タイムスリップ・パラレルワールド映画]
「地下鉄(メトロ)に乗って」見ました。
「地下鉄を降りるとそこは昭和39年の東京だった・・」というこの映画のチラシのキャッチコピーで、「ALWAYS三丁目の夕日」を勝手に想像して出かけましたが、「地下鉄(メトロ)に乗って」のほうは、昭和39年だけにスポットを当てているわけでなく、タイムスリップするのは初めは昭和39年だけれどある時は戦争中だったり、戦後間もなかったり、また昭和39年だったり、とにかく目まぐるしいくらいタイムスリップを繰り返し、まるで「バックトゥザフューチャー」を思い出しました。現実と昔が交錯していくのです。
ラブシーンがありベッドシーンがあったのですが、ちょっとギクシャクした感じがあり、たぶん俳優の演技にも問題ありなのかもしれませんが、無理やりその描写を入れる必要なかった感じがしました。唯一、お父さん役の大沢たかおの演技がキラリと光っている感じでした。
ストーリーは浅田次郎の原作で、なかなか良くできているとは思うのですが、この映画の中でタイムスリップがあまりにも頻繁で、タイムスリップを意味する地下鉄の中を走る映像が多すぎたようです。もっと編集で更に素敵な映画に仕上がるような気がしました。それが残念でした。
号泣必至とあったり、感動作との文字が躍るこの映画作品の紹介が目につきますが、そういった感動よりも、異次元に迷い込んだ不思議さのほうが新鮮に感じ、その不思議さが村上春樹の「羊をめぐる冒険」に共通する何かを感じました。「羊をめぐる冒険」もエレベーターに乗って別の階に行くと羊男がいる異次元にたどり着きますが、この本は90年にインドから戻ってすぐに読んだ本なので、インドと日本のそのギャップが羊をめぐる冒険で書かれてる世界に極めて近いと感じたことがありました。インドと日本がこれほどギャップがあるなら羊男のいる世界もきっとあるに違いない、とその時強く思いました。
そういう意味では私たちはわざわざタイムスリップなどせずとも、異国に出かけたり、国を変えずともちょっと場所を変えたり、また同じ場所でも朝と夜の違い、時間の多少の違いで感じるものは、このタイムスリップの体験に近いものがあるのではないか、と思いました。もちろん昔を思い出すということ自体でも。そしてそれは人にとってとても大切なことだと改めて思いました。
ミムラや伊藤英明が出演した「この胸いっぱいの愛を」もタイムスリップした映画でしたが、最近この手の作品増えてるような感じがします。
ALWAYS三丁目の夕日をイメージ(あの感動をもう一度)していたので、行くか行かないかの判断の参考になります。ありがとうございます。この胸いっぱいの愛を、も近くの北九州が舞台なので身近に楽しめた映画した。黄泉がえりもそれから見ました。何十年代回帰とか昔に帰りたい願望があるんでしょうか?古き良き時代に。私も先日幕末にタイムスリップしてきたばかりです(笑)。タイムスリップは自分の力で体験できるのかもしれませんね。
by はるかぜ (2006-10-12 20:46)
たぶん、昔のことは皆良く見えるのでしょうね。
本当は今のほうが何でもあって物も情報も溢れるほどあり、幸せなはずなのに。でも人の幸せに感じる度合いは平等に作られてるのかもしれません。
チョコレートを食べたことのないインドの子供たちとか戦後間もない日本の子供たちにそれを与えたら発狂するほど喜ぶかもしれませんが、今の日本の子供たちにそんなことしてもたいした喜びにはなりません。落差が大きいほど、喜びは大きいですものね。
ところで「地下鉄に乗って」は「ALWAYS三丁目の夕日」を期待していくと裏切られると思います。全く別物ですから。
by naonao (2006-10-12 21:12)