インドの乞食で考えたこと [精神世界+旅の思い出]
インドを回っていて一番気になった存在はやはり、乞食です。
乞食を語らずしてインドは語れません。
道を歩いていても道端に座っているし、ある乞食はこちらまでやってきて手を差し伸べて喜捨を迫るし、その手がまたライ病で指が全部なくて手の平だけだったり、鼻がない、手足がなくベニア板にコロコロの車だけつけてその上に短い胴体だけ乗ってたり、それはそれは初めて見たときのショックと言ったらありませんでした。もちろん五体満足の乞食もたくさんいるし、子供連れのお母さん乞食もいるしいろいろなのですが、旅行者の間では、
「乞食の子として生まれたらインドでは一生乞食なので、親が他の乞食よりも恵んでもらえるように、自分の子供の手足を切ったりしてるんだよね」
という話がまことしやかに囁かれていました。つまりカースト制が根強いため違う職業に鞍替えなど簡単にできないので、親の乞食は子供の乞食の幸せ願って我が子の手足を切るというのです。
「あまりにもたくさんいる乞食対策のために、インド政府が困り果て、何トントラックという大型トラックに乞食を載せて、デカン高原に捨ててくるらしいよ」
と言った話も聞かれました。
電車に乗り込むといろんな乞食も乗り込んできて「バクシーシ(喜捨を)」と寄ってくるし、中には芸をやり始めそれで稼いでいる乞食もたくさんいました。
初めはどうしていいものかわからず、適当に1ルピー(3円くらい、お茶一杯くらい飲めます)をあげていたのですが、あまりにたくさんの乞食にこんなことしてたらこちらが破産して旅行が続けられないかもしれないと思い直し、不具者にだけあげることにしました。そして乞食にお金をあげることに慣れるにつれ、1ルピーより細かい50パイサ(1ルピー=100パイサ)とか25パイサとか、1パイサをたくさん集めた本当の小銭を求めに応じてあげていたら、あるとき乞食がいきなり、その小銭をつき返してきて「そんなのいらないよ」と言った風なのです。
他の旅行者とも話したら、「そうだよ。乞食にもプライドがあってあまり細かい小銭はつき返してくるから、そんな小銭ならあげないほうがいいみたい」と言う感じでした。どうせ喜捨するならそんなはした金でなく、インド人の金持ちのようにちゃんとまとまったお金をあげろ、ということなのです。
ダライラマ法王の亡命政府があるインドのダラムサラに行ったとき、ちょうど仏陀関連の祭りがあり、その祭りの間チベタンは喜捨すると徳が何倍にも戻ってくるいい日、となっていました。そのためそれを知ってる乞食は、毎年その日に全インドから集まり、チベタンに施されています。それが左の写真です。この細い道はずっと続く限り乞食が並び、それはそれは圧巻でした。時間になると真ん中の道を喜捨したい人が歩きながらお金やら食べ物を一人一人の乞食に与えて歩くのです。
インド旅行中、またインド旅行を終了してもつきまとって離れなかったのは、「なぜ私は日本人に生まれ、彼らはインドの乞食に生まれたのか」という問いでした。私がインドの乞食に生まれても、インドの乞食が日本人に生まれてもなんら不思議はなかったはずなのです。しかし現実に私は日本人に彼らはインドの乞食として生まれた、この違いは一体何と絶えず問わずにはいられませんでした。
生まれながらに人は全然平等ではない、と強烈に思い腹が立ちました。そこからその理由を明らかにしたいと思い、本を読み漁ります。しかし中々いい答えは見つからないのです。唯一これなら少しは納得できると思ったのは、仏教の「因果応報」と「輪廻転生」でした。この2つの考えなしには神がいたとしても全然平等でなく、むしろ不公平すぎる、と思ったのです。
世界旅行一周してるとき、ペンパルのいたスコットランドのグラスゴーに寄り(1994年夏)、ペンパルが紹介してくれたミディアム(medium)と呼ばれる霊媒師のような人に会いました。その人は普段は看護士として働いているのですが、日曜ごとに教会で悩みのある人の相談に乗っていて、そこらへんにいる魂(spirit)を降ろして悩みに答えてくれるという手法を取っていました。そのミディアムは私がずっとその乞食の存在に関して考え悩んできたことを指摘し、はっきりと因果応報があることを話し、「だから私はちっともそういう人たちに対して哀れみは感じないの。あなたもそのことで彼らに哀れみを感じる必要はないのよ」と話しました。「蒔いた種は自ら刈り取らなければならない」との聖書の言葉をはっきり言ったのです。
そして「皆が同じような境遇だったら比較することができなくなるから、違ってその違いを比較することができる状態はとてもいいことなのです」とも言いました。全世界が決して同じ状態はありえないし、そうあってはならないと言う感じでした。
「蒔いた種は自ら刈り取らなければならない」と言う言葉をはっきりと示してくれたのはエドガーケイシーの本でもありました。たくさんの悩みを持つ人々がエドガーケイシーのもとを訪れその原因を指摘されるのですが、それは見事に因果応報と輪廻転生を物語ってもいました。
例えばダイエットに苦しむ女性がやってきます。何度試してもダイエットに失敗し、肥満から抜け出せないのです。でもこの女性は言われます。「あなたはローマ時代に戦士として生まれ、肉体美を自慢していました。肥満の人たちに罵声を浴びせこういった人々を心から憎み毛嫌いしていたのです。だから今生ではその逆の立場の人々、つまり太った人たちがどれほど周りから卑下され苦しんでいたのか、それをあなたは体験する人生なのです」
日本に生まれたということがどんなに有難いことか教えて下さりありがとうございます。世界各地に行かれた経験を披露されることで見ている我々も疑似体験し学ぶことができます。因果応報、輪廻転生、今回の生まれ変わりが最後と思える生き方をします!
by はるかぜ (2007-01-11 10:45)
>はるかぜさん、ありがとうございます。
本当これで生まれ変わりが最後にできたらいいですね。私も同感です!!
私はわざわざインドにまで行って気づかされましたが、普通の生活だけで気づいてる方も大勢いるので(まさにはるかぜさんもそのお一人!!)すごいです!!
by naonao (2007-01-11 23:11)
輪廻転生に詳しい方からお聞きしたのですが、今生きている人は皆最後の生まれ変わりだとか・・・もしそうだとすると次がないので自殺なんかしてもったいないですよね。アトランティス大陸時代からの生まれ変わりの方もおられるようです。もう一度あの天変地異や大洪水を経験しに?(謎)
さて、予言者ジュセリーノさんTBさせていただきました。偶然の一致を何かに活かそうと思って・・・ありがとうございました。
by はるかぜ (2007-01-12 11:32)
インドの乞食の話から、輪廻転生の話につながってゆく展開ってスゴイ!
そして、naonaoさんの言うとおり、神はすべてに平等なのだと私も思います。今自分に与えられているもの、こと、出会い、全てが自分の魂の修行のための条件なのだと思うようになりました。
今日はひとりでのんびり過ごしてます。ヘッヘッヘッ!
by こころん (2007-01-12 14:24)
いつもながら、魂に揺さぶりをかけられるような力強いメッセージを読ませていただきました。
はるかぜさん同様ニッポンに生まれた幸運をいまさらながら再確認することができました。
輪廻、因果、に関しての記述もすんなり体になじむ内容でした。
インドのカーストというのは強烈なんですね。。
by オオタ (2007-01-12 14:38)
>はるかぜさん、すごい情報をお持ちなのですね。アトランティスの生まれ変わりがたくさん生まれてるというのは私も本で読んだことがあります。TBありがとうございます。
>こころんさん、ありがとうございます。全ては魂の学び!!それがわかってれば人生全てOKですね。そうか、近くこころんさんのところに遊びに行こうかな。
>オオタさん、ありがとうございます。インドのカーストは本当にしっかりインド社会に根付いてます。職の分担があり、違うカーストの職を違うカーストの人ができません。同じカースト同士ならものを渡せても、違うカーストだと手から手へと渡すことも叶いません。結婚も勿論ご法度。すごい社会です。
by naonao (2007-01-12 22:55)
ナマステ。
先日はコメント頂き、ありがとうございました。
覗きに来てみました。
諸々のお話、興味深く読ませて頂きました。
今生きている全員、今生が最後とのこと。妙に納得。
私の主人は元僧侶なので、日々彼から学ぶところが多く。
日々を愛と共に考え、行動できる人間でありたいものですね。
by ai (2007-01-24 21:33)
>aiさん、こんばんは。アクセスありがとうございました。
ネパーリのご主人とネパールで幸せにお暮らしになっていていいですね。またブログに遊びに行きます。
by naonao (2007-01-25 21:20)
>カツピロさん、nice!ありがとうございます。
by naonao (2007-02-18 21:21)
因果応報、輪廻転生など存在しません。人は死ねば
死ぬ前に戻るだけ。天国も地獄もありません。
だからと言って悲しくなったり投げやりに生きる必要はなく今を生きればいいのです。乞食が前世の行いが起因してるの考えはむご過ぎます。現実の不公平を不合理な宗教の教えに惑わされて納得しないでください。
by パピルス (2017-09-16 08:35)