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熊から王へ~カイエ・ソバージュⅡ [本]

中沢新一の「カイエ・ソバージュ」シリーズⅡ「熊から王へ」読みました。



熊から王へ カイエ・ソバージュ(2) (講談社選書メチエ)

熊から王へ カイエ・ソバージュ(2) (講談社選書メチエ)

  • 作者: 中沢 新一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2002/06/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


「野蛮」とは富の分配が非対照的、それゆえテロを招く。テロは「野蛮」であり、それに対する報復も「野蛮」そして「はるかなる視線(レヴィ=ストロース)」の立場に立ち、神話の研究が現代のこういった難問を解決できないだろうか?と問う。


人間は文化を持ち、動物は自然を生きる。そして「国家」が出現した途端に「文明」「野蛮」が出てくる。宮沢賢治の「氷河鼠の毛皮」や、トンプソン・インディアンの民話の世界では、人間と動物はこの世界において同等であった。人は殺した動物の恩恵に与かる代わりに、殺した動物の体を丁寧に扱わなければならないし、儀式も行い、必要以上のものも取らないという「法」のある世界=「対称性の社会」があった。これこそ「野蛮」でない世界でした。それがいつしかそうではなくなった…。


熊は恐れられるとともに親しみのこもった友愛をかきたてられる動物としてたくさんの神話に出てきます。それは北西海岸のインディアンたちの神話。カナダ、アラスカ、北アメリカのインディアン。そしてベーリング海の向こうのモンゴロイドの人たちまで神話はあります。人が熊になり、熊が人にまた戻ったり、半分熊だったり、互いに結婚したり、兄弟親子の関係になったり…。そして熊を殺したならば熊を丁重に扱う熊送りの儀式もありました。熊は自然界のシャーマンであり熊には治癒力があると考えられていたので、シャーマンになる=熊になること、そのやり方は世界で同じスタイルを取っているといいます。例えば、スペインの闘牛。また仏教での飢えと寒さに耐える修行。両者とも生きるか死ぬか定かでない精神状態で精霊を待つのだといいます。


アメリカンインディアンの首長は王には決してなりません。首長は平和をもたらし、気前が良くてはならず、歌や踊りがうまくなくてはならないと言います。インディアンたちは夏には狩猟をしますが、冬にはその反対に人が自然に食べられるという、人と自然が対等の社会でした。夏には首長のものが、冬には秘密結社+戦士+シャーマンとなり、その役割は決して一緒にはしません。これは仏教にも繋がるものです。そして中国西南部の雲南にいる人たち、日本、アメリカンインディアンとモンゴロイドの環の人たちの共通点でもあります。熊や鮭の取り方、動物霊への儀式、冬の祭りが聖なる時間であり、国家を作ろうとしなかった人たちです。


置き去りにされた人が特殊な能力を持って元に戻ってくるという話は世界にあり、そして熊を主人公とする色んな話が北東アジアから南北アメリカまで(まさにモンゴロイドの環)あるというのだから面白いです。


この本から、自然を丁重に扱い、感謝するというモンゴロイドの人たちの心構えさえあればテロもなくなるんじゃないか、と思えました。すべては力づくで支配でなく、お互いさまで、相手の立場もわかろうとする気持ちがあればいいことですものね。モンゴロイドの人たちの神話や思想がもっとヨーロッパの人たちに知られると、世の中も劇的に変わる気がします。カイエ・ソバージュⅠに続き、Ⅱも大変興味深く面白かったです。講義を収録したまま文字に起こしているような本なので、何だか大学に戻って講義を聞いている感じもします。このシリーズはまだまだあるので、続きも読みたいです。



おまけ:


仕事で先日多摩センター駅に行ったとき駅前通りに大きなキティちゃんのお雛様↓がお目見えしていました。多摩センターはキティちゃんの街らしい。多摩市挙げて「ハローキティに会える街」としてイベントがあるらしいです。




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naonao

>nice!をいただき、皆様ありがとうございます。
by naonao (2018-03-20 19:46) 

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