予言者ジュセリーノさん [精神世界]
「2008年9月13日にアジアのどこかで大地震が起きて100万人が亡くなる」
と予言していたので、それがとても気になってネットで探してました。するとヒロシさんという方の「アセンションへの扉~地球が癒される」というブログでジュセリーノ・ダ・ルースさん(ブラジルの預言者)についての記事(こちら)が紹介されていました。
以下このブログからの予言です。
2007年 トルコ、ヨーロッパ、パキスタン、インドネシアで地震発生
2007年 フィリピンで大きな台風災害 2007年 人類が地球温暖化の対策を行える年。これを過ぎると人類が滅亡する方向にいく。 世界規模
2008年 ついにエイズワクチンが誕生、マットグローソ州にあるルアナーと言う薬草から開発されます。 世界規模
2008年 アフリカで数千人が水不足で死亡
2008年 9月12日、中国で100万人が被災を受ける地震と津波が発生
2009年 1月25日、震度8,9(Richter)の大地震が大阪で50万人死亡
2010年 アフリカでは気温が58度まで達して水不足がピークに
2010年 6月15日、ニューヨーク株式取引所の崩壊
2011年 2月17日 アフガニスタンで地震
2011年 鳥インフルエンザが人間へ感染して8千万人が死亡 場所の指定なし
2012年 12月6日から気温や疫病が増大、人類の滅亡が始まる 場所の指定なし
2012年 インドネシアでクラカトアー火山が噴火する
2013年 11月25日、カナリア諸島で大津波が襲う数千人が死亡
2013年 11月1日~25日にアメリカのイエローストン火山が噴火、灰がカンサス、ネブラスカ、リビンストンその他。150メートルの津波
2015年 インドネシアでクラカトアー火山が噴火する
2015年 ポルトガルやイギリスで干ばつ、フランスやスペインに急増する 2015年 4月22日、ポルトガル、イギリス、フランス、スペインの干ばつがもっと激しくなる
2023年 2月9日、震度8,9度の地震がアメリカ、サンフランシスコで起きる
2026年 7月17日 ザービッグワンと言う名の大地震がサンフランシスコで起きてカリフォルニアを破壊。震度10.8度の過去最大の地震
2029年 4月13日、アポフィス小惑星が地球の近くを通る。 場所の指定なし
2036年 11月11日、再び同じアポフィス小惑星が地球に接近、80%衝突の可能性、地球破壊のピーク。 世界全体
2039年 気温が63度に達する場所あり 場所の指定なし
2043年 人類滅亡。 世界全体
(12日と13日という違いはありますが)テレビで言ってた地震が中国だということがわかりました。またジュセリーノさんのホームページ2つ(こちらとこちら)が存在することも発見。そのホームページのポルトガル語を英語に訳して2007年の予言を日本に関するところだけ見ましたが、「2007年3月に東京で、10月に日本で地震がある」とのジュセリーノさんの予言を発見。「3月の東京での地震はパニックになる」「10月の日本での地震はたくさんの犠牲者が出る」そうです。
残念ながら私は上記2043年までの予言の原文をジュセリーノさんのホームページから探すことができなかったのですが、このブログに書かれた内容をざっと見るとやはり怖いです。ちなみにこのジュセリーノさんの本はたま出版より2月に出るらしいです。
時同じくして、はるかぜさんが紹介していた「2012年の黙示録」という本を手に入れたので読みました。こちらもすごく怖いです。
要約としてはこうです。
2012年12月22日、この日に向かって現代の物質文明を終え、地球と人類は次元アップをする。地球がフォトンベルトのヌルゾーンに突入する日でもあり、マヤ暦が終わる日でもあり、アメリカのテレスマッケンナと言う科学者が計算したゼロポイントを迎える日でもある。
終焉に至るまでは聖書の預言にあるような「終末現象」(地震や洪水などの天災、戦争、内乱、テロなどの人災)の様相を呈する。
全ての人間が次元アップするわけでなく、新しい地球に合う人合わない人で振り分けられる。
この本の内容のほぼそのままが(こちら)の1~7までで確認できます。なわ・ふみひとさんのHPはこちらです。
私が読んでで最も怖いと思ったのは「終末現象のなかで人は試される」というものです。人は終末のときに「光の子」か「獣」かを試されるといいます。そのふるい分けにこんな例を挙げています。
10数年前の話です。・・・トラブルを起こした飛行機が氷の浮いたつめたい川に不時着し、乗客が飛行機から脱出して川に逃れ泳ぎながらヘリコプターを待ちました。・・・・一人の男性のところに縄梯子が下ろされたのですが、その男性はいったん手にした縄梯子を2度も手から離し、他の人に譲った結果、最後は力尽きて沈んでしまったのです。・・・・さてあなたはこの男性の行動をどう思うでしょうか?
「まず自分が助かることが大切と男性のとった行動を愚かだと思いますか?」
「立派な行為だ。でも自分にはできないと思いますか?」
「それとも当然、自分もそうしたと言えますか?」
この話を読んだとき、4つのことを思い出しました。
ひとつは自分の母がガンで余命いくばくもないとわかったとき(私が学生だったころです)、私は図書館でガンについて調べいいものなら何でも母に試すという一方で、ひたすら神頼みをしていたのですが、そのとき神様にお願いしたのはこうでした。
「私の命を10年短くしてくださってもいいから、母を生きさせてください」
今から思うと母親なら子供のために自分の命を引き換えにしてでもいい、とお願いでもするでしょうが、私は母のためにたった10年しか命を引き換えに出来なかったという事実です。情けないです。
2つめはチベットに入ったとき、縁ある旅行者と2人でチベット入りできたのですが、私がこのチベット旅行に関してブログで紹介したように(関連記事はこちら)、その旅行は個人旅行が禁止されているときだったので、当然見つかればその場でバスを下ろされ、成都まで強制送還されました。ゴルムドで会った旅行者があとからあとからチベットに来て再会したのですが、その中の一人の旅行者がこんなことをそのとき言いました。
「ボクは自分でなく、一緒に行った人が公安に見つかり、チベットまで行けなくなったり、途中高山病になって引き返さなければならなくなったりしたら、自分もその人と一緒に潔くチベットに入ることを諦められるかと考えたとき、とてもじゃないけどそれはできないと考えた。だからnaonaoさんたちのように2人でチベットに入るなんて決して考えられなかった。もしかして最悪、標高の高いところに置いていかれそのままなら死ぬ事だって考えられる。そこまで考え、ひとりで入ることにしたんだ」
この言葉は重たかったです。そこにいた旅行者は皆、自分がたまたま一緒になった旅行者のために公安に見つかったらチベット行きを諦め、もしかしたら生死がかかっているようなこの状況を受け入れることができるか、意見を言い合いましたが、結局「そんなことは無理だ」と言い、「唯一親は子のために死ねるかもしれないけれど、子供は親のためには死ねない」という話で終わったのを思い出します。他には「子孫を残すと言うことが組み込まれてるので、親は子の為に死ねるのは当然だ」という意見もありましたが。
3つめはコルベ神父の話です。ナチスドイツの強制収容場で、縁もゆかりもない人のために、「自分は家族がないのでその人の代わりに自分が死にます」と名乗り出た神父さんのことです。(関連記事はこちら)こんな行為ができるかと思うと泣けます。
4つめはジャータカ(仏様の転生の物語)。お腹を減らした虎のために自らが犠牲となりエサとなったお釈迦様の過去生のひとつがジャータカに載ってますが、昔歴史で習った、法隆寺にある国宝、玉虫厨子の捨身飼虎図もありますね。飢えた虎のために自らの命を捧げるなんてすごすぎます。
魂が永遠だと知った今、その最初のふるいの質問に出会ったとき、自ら進んで見ず知らない人のために命を落とせるだろうか
そこまで魂を磨けてるだろうか
自問自答してもしかして出来ない自分がいるかもしれない、学生のときや旅行に行ったときと何も変わってないかもしれない、と思うと情けなくなりました。
皆さんはどうですか
しかし、救いはジュセリーノさんは「これらの予言が起きないようにすることはできる」と言っているらしいことです。また2012年の黙示録を書いてるなわさんも、物質社会から精神世界に目を向け心を磨くということが大切と言ってます。いずれにしてももう環境問題を放りぱなしで、お金・お金・お金の世界ではいけないということの警告なのだと思います。
偶然の一致・シンクロニシティ・共時性 [精神世界]
私は昔から偶然の一致(シンクロニシティ、共時性)が起こることにワクワクドキドキしてます。昔といってもそれは目に見えない世界を意識し始めるようになった1990年のインド旅行あたりから。日常生活にこの偶然の一致が起こると喜んで今も日記に残しています。
簡単なところでは長く連絡取り合ってない友人に久々にメールでも・・・と思ってメールを打っていたら、その友人から瞬時にメールが入ってびっくり。電話すると「今ふと(あなたのこと)思い出したんでメールしたんだ」と言われる。
また旅行中会った人にその人が会ったというAさんの話を聞かされていたら、その噂のAさんと何日もしないで別のところで出会う。
そのパターンでBさんの話を3人の人から聞かされていたのでいつか会うだろうと期待し旅行をしてたら全然会わずに旅行を終えてしまい、帰国して日常生活に戻ったらそのBさんが何とテレビに映っていた。インドのリシュケシュのヨガ道場でヨガをしてた一般人のBさんなのだが、たまたまヨガ特集で取材されていたのです。その直後に旅行中会ってBさんの話をしてくれた一人が遊びに来て、あのテレビで映ってたのは確かにBさんと確認してくれたこともありました。
悩んでいたことがありどうしようと思っていたら、夢の中で亡くなった母がにっこり笑って「そのままでいいんだよ」と回答をくれたこともあります。
その他、例を挙げたらきりがないくらい毎日たくさんの偶然の一致があり、それを毎日楽しんでます。
偶然の一致に関するコメントはいろんな本に書かれ、本によって偶然の一致、シンクロニシティ、共時性といろいろな表現が使われていますが、ユングは意味ある偶然の一致を共時性と呼んでいました。このことこそ大切にしたいものだと思ってます。今日はこの意味ある偶然の一致に関して書かれた本の抜粋を紹介します。
「単なる偶然で起こることは何ひとつない。あらゆることがシンクロニシティで起こるのだ。私たちの周囲の現実の事柄なり出来事は私たちとは無関係に勝手に存在したり起きたりしてるのではなく、私たちの意識が時々刻々作り出しているものだとわかる」(信じられない偶然から)
「シンクロニシティを理解することによりすべての生き物が見事なハーモニーを奏でながらひとつの星で共存していることの素晴らしさが理屈ぬきで理解できるようになる。あなたは自分自身がこのかけがいのないメカニズムの重要な一部であることを実感するはずだ」(シンクロニシティから)
「自然はシンクロニシティという現象を通じて語りかけてくる。体験者に送られようとするメッセージもその内容は様々だ。よって我々は自分だけに宛てられたメッセージを理解し人生をより広い視点から見つめ、自分の存在と自然との関係に意味を見出さねばならない」(シンクロニシティから)
「他人から教えられる百の教義よりも自分の内面に浮かんだメッセージを体感することのほうがはるかに有意義なのだ。こうしたことをすべて可能にするのがあなた自身が作る運命の本=シンクロニシティを記載する日記だ」(シンクロニシティから)
「人生において多くのシンクロニシティを体験しようとするなら自分が一番興味をもっていることに没頭すべきだ。興味がもてることこそシンクロニシティを映す鏡となる。あなたの人生を特徴づけ他人の人生との違いをうきぼりにするもの、それがシンクロニシティの発火点となるのだ」(シンクロニシティから)
「結論めいたことを記しておくならばシンクロニシティをおこすのは自分が心に抱いている情熱だ。それに気づいていないならすぐ気づくべきだし既に情熱をもってあたることができるものがある人はそれをとことん追及すべきだ。成功や失敗の基準は他人が設定するものではない。あなたの人生の価値を決めるのはあなた自身だからだ」(シンクロニシティから)
「自分が信じるところだけをみて前に進む人たちに創造主は必ずや微笑みかけるだろう。『私は君と一緒にいるよ』と知らしめるためシンクロニシティを起こすのだ。シンクロニシティは創造主と人間の共同作業にほかならないのだ」(シンクロニシティから)
「人生で何をすべきなのか迷ったときにはどうしたらいいか。答えはすべて自分の中にある。シンクロニシティはきわめて私的な体験で、その都度示される道しるべを感じるにつけ自分が究極の謎と協調していることを自覚するだろう。真に意図された人生が送れるようになるし、その過程において自尊心や他人に対する愛も手に入れることができるのだ」(シンクロニシティから)
シンクロニシティ―「奇跡の偶然」による気づきと自己発見への旅
- 作者: フランク ジョセフ
- 出版社/メーカー: ベストセラーズ
- 発売日: 1998/12
- メディア: 単行本
「どんな意味があるかはっきりわからなくてもシンクロニシティが自分を正しい道に導いてくれると確信する」(人生の意味から)
「自分が好きなことをしていればシンクロニシティも発生しやすくなる」(人生の意味から)
「共時性をいつも期待することによってその場を設定しておけば共時性をもっと頻繁に起こらせることができるのです」(人生を変える力ー第十一の予言から)
「共時性が常に流れている状態を作る唯一の方法は、祈りの場がこの流れをあなたの方へと動かし続けている状態にしていることです。つまり油断しない状態にいることが必要なのです。・・・・・・まず立ち止まり全ての瞬間に油断のない態度をとるということを思い出すのです。自分のエネルギーが外へと出て行き、その場の必要な直観を運んでくる様子を心に思い描き、共時性がいつ起こってもおかしくないと期待するのです」(人生を変える力ー第十一の予言から)
「大切なことは自分の恐れに焦点を当てないで肯定的な面に心を集中させることです。だからこそ次にやってくる共時性を見逃さないように意識して注意していれば、心は肯定的で恐れや疑いがないよい状態であるといえます」(人生を変える力ー第十一の予言から)
「自分の使命を知ることによって偶然の一致の流れは早まっていく。夢、白日夢、直観が私たちを更に先へと導いてくれるようになる」(人生を変える力ー第十一の予言から)
「共時性のある出来事にぶつかったならば『偶然さ』などと思わないでこの目に見えぬ結びつきのなかで『心が囁いているものは何か』と考えたほうがはるかに人生に深く足を踏み入れることができる。心の動きは目には見えない。ましてや心の奥の奥のことはその当人にもわからない。だがその心の奥の奥は決して沈黙しているのではない。我々に語りかけるのだ。その言葉は時には夜の夢になったり、病気になったり、また共時性によって具体的に出てくる不思議な出来事なのだ。そんな出来事や夢や病気は決して無意味なものではなくあなたの人生に何か深いものを語っているのである」(人生には何ひとつ無駄はないから)
- 作者: 鈴木 秀子, 遠藤 周作
- 出版社/メーカー: 海竜社
- 発売日: 1998/03
- メディア: 単行本
私は偶然の一致を喜ぶのでたくさんの偶然の一致があるのですが、その奥にあるものを見極めずそれが自分に何を意味するかをあまり考えずに流しっぱなしなので、友人からは「その奥にあるものを考えないといけない」と言われてます。最近ははるかぜさんのブログで私の興味あるテーマを見つけたり、インスピレーションを頂いてるので勝手に喜んで楽しんでいますし、 この記事を書きたいと思ってキャロルアドリエンヌの本の抜粋を探してたとき、これまたいつも読んでるZunkoさんのブログでキャロルアドリエンヌの本の紹介がされてました。これも偶然の一致で嬉しいです。
これらの偶然の一致が最近富に加速しています。この偶然の一致による私個人の人生のテーマをしっかり見極めたいと思います。
豊かな国はどこ? [精神世界]
「本当に豊かな国はどこですか?」
元旦の今日、東京新聞での特集でした。ブータンとアメリカを取り上げての取材が目に惹きました。以下その抜粋です。
ブータンでは「GNH(Gross National Hapiness=国民総幸福)はGNP(国民総生産)よりも重要」「GNHの追求は国の責務」ブータンの国是である。GNHはブータン総合研究所と国連開発計画(UNDP)と共同で2008年頃までにGNHの数値化の手法を確立させ、将来的には国際的指標に発展させたいとしている。「物質的な豊かさは幸せになるための手段にすぎない」と、心の幸せを追求している。
「自然には精霊が宿る」として必要以上の開発はしない。国民所得は760ドル。日本の50分の1。しかし、街にはホームレスや物乞いはいない。血縁の濃淡にこだわらない大家族制が生活を支えているからだ。教育費・医療費は無料。
一昨年行われた国勢調査で「幸せか」の問いに回答者の97%の人が「はい」と答えた。日本で年間3万人を上回る自殺は年に2,3件。「理由は失恋か薬物使用。ストレス?そんなものはブータン人にはない」(ブータンタイムズ記者の話)
「先進国を自転車に例えるならここは三輪車。スピードは遅いけどいつでも立ち止まって自らを見つめなおす余裕がある」(UNDPの上田さんの話)
「幸福」になるために経済や技術を発展させるのであって、経済発展が必ずしも「幸福」をもたらすものではないことを知るべきだ。 経済力である程度の幸せをつかむことはできる。しかしそれ以上の幸せはカネやモノでは得られない。幸福は人の奥深くにある究極の目標でもある。周りの誰か一人でも不幸せだと幸せになることはできない。物欲の達成を追い求めると環境への悪影響に気づかなくなる。(ブータン総合研究所のカルマ・ゲレ氏の話)
その一方GDP世界一のアメリカでは、・・・・日本のような国民健康保険制度がなく民間保険会社に入るしかない。だが2005年で4660万人が無保険者。6人に1人が加入してない。「メディケイト」という公的保険は支払い限度が限定されメディケイト患者の診療を拒否する病院が多い。
さらに自己破産は150万人~200万人。自己破産の理由は半分が病気でこのうち75%が病気になる前は保険に入っていた。つまり「普通の暮らしをしていた人が病気をきっかけに破産に追い込まれてる」
シャネル・ティファニーなど有名店が並ぶ五番街、ゴールドマンサックス証券のトップが63億円ものボーナスを受け取るウォール街からいくらも離れてないところで、医療の網からこぼれる人を救うボランティア団体「プロジェクト・リニューアル」が活動する。しかし「善意だけで解決するには問題があまりにも大きすぎる」・・・繁栄を求めたアメリカは弱者にしわ寄せなのだ・・・
旅行中、元新聞記者の人に会ったことがあります。その人は辞める前に日本の一般の人たちに「あなたは今幸せですか?」と聞きまわったのだそうです。でもほとんどの人がはっきり幸せと答えることができず、唯一「幸せです」と明るく胸張って答えられたのは、普通のいわゆるおばちゃん、と言われてる年配のおばさんたちのグループだった、ということでした。これは1990年頃の日本の話です。今の日本では果たしてどうでしょうか?
新聞記事でブータンの人々の何と97%もの人たちが「幸せ」と答えてるのには驚かされます。ブータンには行った事がないのですが、インドのシッキム・ダージリンに行ったとき、ブータンから観光に来ていた人々に会ったことがあります。日本の昔の絣のような着物を着ていて日本人にとてもよく似た小柄な人たちでした。またチベット系の人たちでチベット仏教を信じ、「足るを知る」人たちです。
日本もGNPでなしにGNHを指標に突き進んだらいいのではないかこの新聞記事を読んでそう思いました。幸せを基準に幸せを追求することが何より大切だと、もっと一人ひとりが認識したらこの日本も良くなるのに・・・と思った一日でした。
「神われらと共に」 [精神世界]
私ははるかぜさんのブログ読者なのですが(はるかぜさん、いつもためになる話をありがとうございます)、クリスマスらしい記事がレーガン元大統領が引用したということではるかぜさんの記事にアップされていたので、私はもともとの詩、アデマール・デ・パロスというブラジルの詩人の「神われらと共に」をアップしたいと思います。
「神われらと共に」(別名:「浜辺の足跡」)アデマール・デ・パロス
夢を見た、クリスマスの夜。
浜辺を歩いていた、主と並んで。
砂の上に二人の足が、二人の足跡を残していった。
私のそれと、主のそれと。
ふと思った、夢のなかでのことだ。
この一足一足は、私の生涯の一日一日を示していると。
立ち止まって、後ろを振り返った。
足跡は、ずっと遠くに見えなくなるところまで続いている。
ところが、一つのことに気づいた。
ところどころ、二人の足跡でなく、
一人の足跡しかないのに。
私の生涯が走馬灯のように思い出された。
なんという驚き、一人の足跡しかないところは、
生涯で一番暗かった日とぴったり合う。
苦悶の日、
悪を望んだ日、
利己主義の日、
不機嫌の日、
試練の日、
やりきれない日、
自分にやりきれなくなった日。
そこで、主のほうに向き直って、
あえて文句を言った。
「あなたは、日々私たちとともにいると約束されたではありませんか。
なぜ約束を守ってくださらなかったのか。
どうして、人生の危機にあった私を一人で放っておかれたのか、
まさにあなたの存在が必要だったときに」
ところが、主は私に答えて言われた。
「友よ、砂の上に一人の足跡しか見えない日、
それは私がきみをおぶって歩いた日なのだよ」
もうひとつ、クリスマスイブなのでイタリアのアッシジの聖人フランチェスコの「平和を祈る祈り」を紹介します。(たくさんの祈りがある中、この祈りは特に有名でダイアナ元王妃の葬儀にもこの祈りが選ばれ使われたそうです)
「平和を祈る祈り」聖フランチェスコ
私をあなたの平和の道具としてお使い下さい。
憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを、
分裂あるところに一致を、疑惑あるところに信仰を、
誤っているところに真理を、絶望あるところに希望を、
闇に光を、悲しみのあるところに喜びを、
もたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、私が求めますように。
なぜなら私が受けるのは与えることにおいてであり、
許されるのは許すことにおいてであり、
我々が永遠の命に生まれるのは死においてであるからです。
私はクリスチャンではないのですが、聖書の話も好きだし、遠藤周作氏や曽野綾子氏が書くいかにもクリスチャンらしいエッセイ集が好きです。
上の2つの詩は曽野綾子氏の本「現代に生きる聖書」に載せてあった詩でした。私は本の中に心に響く言葉を見つけると、すぐに日記に書き写す癖があり、はるかぜさんのブログを読んだとき、私の日記のどこかにこの詩を書きだしてるなあと思い、探し出しました。意外と簡単に見つかりました。クリスマスにはこういう詩が何とも心に響きます。
また曽野綾子氏というと、コルベ神父の話(アウシュビッツで全くの赤の他人の代わりに自分の命を捧げた神父)を思い出します。どんな話より真実なだけに心を揺さぶられます。コルベ神父の話はたくさんの本が出ていますが、私が知ったのはやはり曽野綾子氏の本からだったのです。
- 作者: 曽野 綾子
- 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
- 発売日: 2001/05
- メディア: 単行本
- 作者: 西島 伊三雄, 曽野 綾子
- 出版社/メーカー: 聖母の騎士社
- 発売日: 2000
- メディア: 大型本
また聖書というとヨブ記(信仰深いヨブに次から次へと試練が襲います)も泣けました。こちらもたくさんの本が出てますがヨブ記があるということを初めて知ったのは遠藤周作氏の本ででした。でも遠藤氏のどの本だったのか記憶にないのですが泣けて泣けて仕方なかったことだけは記憶してます。
一足早く、Merry Christmas.死後の話 [精神世界]
百年前のイギリスで大反響のベストセラー「スピリットランド」が現代に蘇る!!「誰も書けなった死後世界地図」〔Ⅰ〕〔Ⅱ〕〔Ⅲ〕~A・ファーニス著を読みました。ちょっと気になっていたので。
今年亡くなった丹波哲郎氏もよく出してましたね、死後の世界の本。丹波氏の本は気軽に読めていいです。「この世は肉体と精神があるから分離してしまうけれど、例えば今、どこかに行きたい!!と思っても実際問題として行けませんね。でもあの世では精神世界だけになるので、思ったらすぐさまそこへ行けてしまう」というのがあの世の世界はいいなあなんて思ってました。
またスエーデンボルグの本も本人が実際あの世とこの世をフラフラして著作を残してますけど、実際死んだ人に遺言のありかを尋ねてきてそれを親族に伝えて遺産相続を免れたようなエピソードが印象的でした。
さて、この「死後世界地図」もいわゆるあの世を書いた本で1896年にロンドンで発行されたベストセラー本です。文章は簡単なのでちょっと時間があればすぐに読め、また三巻あるのですが重複する記述が多いので、どれか一冊でも読めば十分とも思いました。
死後の世界は決して恐るべきものでなく、意外にいい場所なのかもしれない、と思わせてくれます。