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項羽と劉邦 King's War③  [中国ドラマ]

中国ドラマ「項羽と劉邦 King's War③」を観ました。

項羽と劉邦 [ノーカット完全版] スペシャルプライスコンパクトBOX [DVD]

項羽と劉邦 [ノーカット完全版] スペシャルプライスコンパクトBOX [DVD]

  • 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
  • 発売日: 2015/07/15
  • メディア: DVD

全80話。41話~60話まで。

子嬰の娘の幼は父を励ます。子嬰は楚に下るか戦うかの決断を迫られ楚に下ることにした。咸陽に入った劉邦に跪き玉璽を渡した。司馬欣の部下の兵が腹を空かし食糧を盗むと、項羽は今や楚軍となった司馬欣の部隊も食事を平等にすることに決める。しかし食糧が無くなりつつあり、元秦の兵士100人が食糧をまた盗もうとし、章邯や司馬欣が兵を平等に扱ってほしいと願い出たが、項羽は降伏してきた秦軍の兵20万人を殺すことにする。帰りたいものには帰らせ、残った者には高台に駐屯させ夜襲を掛け谷底に突き落とした。それを知り虞姫は涙する。項羽は秦への憎しみしか学んでこなかったと言い放つ。

一方、劉邦は咸陽に入って以来、胡亥の姫を連れ3日も引っ込んでしまう。劉邦の命令で函谷関に兵を配備し項羽軍を通さないでいたが、これを見た張良は反対しそれを聞き入れない劉邦に失望しその場を去ろうとする。咸陽の町は兵たちの掠奪が相次ぎ荒れ放題。簫何は河川図、天文図、税、関所、戸数などの統計を持ち出し、宝石や財宝、衣装などは残しておいた。そして劉邦は項羽に攻める口実を与えないために咸陽からは城に行くことに決める。

その頃韓信は鐘離昧に別れを告げ楚軍から離れようと考え始め、曹無傷は項羽に下り、項伯は戦を知らせるために友人の張良のところに走るが、張良は劉邦にそれを知らせ項伯と劉邦を会わせる。簫何が項伯に「義兄弟の契りを結んだのに殺しに来るとは。諸侯のことを配慮すべきだ」と怒り、劉邦もまた「項羽のために守っていたのに」と言い、張良も「ここを動かない」と言うと項伯は「何としてでも戦を止めたい」と言い出す。項羽は戦を止めて宴を開き劉邦を招く(鴻門の会)。項荘の剣舞で劉邦が殺されそうになると項伯が観ていられず相手に加わり、張良は樊噲を呼んでくる。樊噲は宴に飛び入り項羽に義侠心について話し、その間劉邦は「曹無傷がスパイである」と項羽に寝返った雍歯に教えてもらいその上逃がしてもらう。その後英布に追われ命からがらに逃げ助かる劉邦。項羽は陳余、張耳、魏豹から咸陽の盟主になってほしいと言われる。亜父=范増は劉邦を取り逃して殺すことができなかったことをなじった。また諸侯に土地分割などしたほうがいいと言う。そこで項羽は関中を秦の章邯たち3人に分けて王とし、懐王を義帝とし、劉邦を巴蜀の王にした。張良の提言で劉邦は漢も一緒にもらうことにした。項羽は自ら覇王と名乗り、咸陽を切り捨て楚に戻り彭城で西楚を治めたいと願った。また項羽は子嬰を自害させ、秦が造った咸陽宮も安房宮も燃やしてしまう。

虞姫は若姜という趙出身の女性が倒れていたため連れて帰り看病し仲良くなった。項羽は若姜を英布と結婚させ離反しそうな英布を留めておく策に出た。

蜀に向かう劉邦たちだが蜀へ行く意義が見つけられず士気が全く上がらない部下の樊噲たち。その頃韓信は簫何の助手となった。張良は韓王に呼ばれて帰ることになったが、劉邦は張良に帰る際に桟道を焼くようにお願いし、劉邦は南鄭を目指して進んだ。項羽は最果ての地で劉邦たちが落ちぶれると考え、劉邦は下界と遮断されたこの地で兵糧を蓄え兵を集め鍛えて項羽を討つ時期を待とうと考えていた。韓信は倉庫などの食糧の管理を任されていたが不満であった。そこでここにいても先が見通せないと考え夜中に逃走。するとそれを察知した簫何は韓信を追い、行かないように説得するが大将軍以外に興味のない韓信に簫何は韓信を大将軍に推すことにし、他の古くからのメンバーたちの不満をよそに、それに納得した劉邦は韓信を大将軍にした。韓信はまず桟道の修復を始めるが、それは見せかけであった。その情報により章邯は関中を攻める計画を立てゆっくりしていたが、韓信はその裏をかき素早く裏道を通り陳倉を落とし、廃丘を落とし好畤を落としていった。王陵を知る盧綰に韓信は王陵を説得するようお願いしたが、韓信をやっかんでいて大将軍と認めていないため王陵を知らないと盧綰は嘘をついた。しかし劉邦に説得されて何とか王陵を説得もできた。張良は韓王から離れられずにいたが、項羽に韓に戻ることを許されると韓王は首をつって自害してしまう。范増に殺されそうになった張良だが、張良は韓王の亡骸とともに韓に戻った。

劉邦の家族を呼び寄せるため、王陵が迎えに行った。その頃項羽は王陵の母を捕まえていた。王陵は母思いで有名だった。王陵の母は母で自分のために子供に迷惑をかけられないと自害し、王陵に劉邦に忠誠を尽くすようにと使者に言葉を託した。劉邦の家族と共に夏侯嬰の許嫁の嫺(かん)がやってきて劉邦の妻の呂雉の世話焼き係となった。戚夫人が妊娠し男の子、如意を出産。おつきの叔母が強かで、戚夫人にわざと薬を飲ませ流産させかけそれを前日会った呂雉に転嫁。劉邦は呂雉に「仲良くできないなら会うな。出ていきたいなら出ていけ。勝手にしろ」と言い、呂雉は簫何にも相談しその場を去る。韓信はその頃蒯通と会う。蒯通は処世術に疎い韓信の右腕となる。

項羽は田栄の謀反を張良から知り、劉邦より先に田栄を討つべきと考え出兵。また英布に嫁いだ若姜は趙人でなく秦人で項羽の命を取ろうとしていたことがわかる。若姜は英布とも仲がうまくいかず姉妹の契りを結んでいた虞姫のところに戻っていた。漢に迫られた章邯は、城内の民を逃がし自分は漢に下らず亡くなった。また項羽の命で義帝は殺された。

4年間にわたる楚と漢の戦いが始まった。楚軍から漢軍に陳平が逃げ降下する。さっそく劉邦は陳平を使い魏豹のところに行かせて説得。その後魏豹のところに彭越を送り込み見張らせた。次に趙と代の軍を率いてる陳余を同盟に引き込むために夏侯嬰が話を聞きにいくと、張耳の首を望むというため陳余の案で張耳によく似た男の別の生首を陳余に送り、陳余を劉邦側に引き込んだ。後にこれがバレたが劉邦はうまく取り繕った。韓信は范増が守る彭城へと行くが、項羽を待ち伏せするも項羽はその策を見破っていて戻らず、范増は城を捨て逃げる。劉邦が彭城に入場。韓信は2万の兵を町の外で待機させていると劉邦は韓信が勝手に兵を動かしていると考える。韓信は劉邦に項羽が攻めてくるから彭城から出てるべきと進言するが劉邦は従わない。張良も事情を理解し、韓信に兵を渡すよう言うが劉邦は却下する。そこへ項羽が攻めて来て、劉邦は逃げる羽目に。魏豹と薄姫も楚軍に変装して逃げ、陳余は項羽に寝返り、ちょうど呂雉たちが彭城の劉邦に会うために移動中彭城陥落の知らせを受け、項軍に捕まってしまう。王陵が助けてくれた離れ離れになっていた子供たちとは劉邦が途中で会えたが、敵に追われる中後から迎えに来ると言って子供たちを置いてきぼりに何度もしようとする劉邦に対し、夏侯嬰は必死に子供たちを馬車に乗せようとし一緒に移動。途中で張良や樊噲と合流。沛県へ行き呂沢のところに落ち着くがここも既に楚軍が襲っていて食糧も乏しくなっていったため簫何が3か月分の食糧を送る。戦に負けてすっかり意気消沈していた劉邦だったが張良や簫何の説得で何とかやる気を起こし、項羽と戦うために沛県を出る。

戚夫人は陳平に「洛書にかかれた人相書が戚夫人の子供の如意に似ており天子の相が見える」と告げる。戚夫人は陳平に袖の下を渡し、自分の子供を太子にしたいと願い始める。劉邦がそのことを知ると戚夫人に忠告する。韓信は呼び出ししても来ないことが劉邦は気がかりだった。

知ってるエピソードと知らないエピソードが色々あり面白かった。戦争のシーンが痛々しい。中には使いまわしてるような戦争シーンもありなくてもいいかなと思った。naonaoお勧め度★★★★★[王冠]

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項羽と劉邦 King's War②  [中国ドラマ]

中国ドラマ「項羽と劉邦 King's War」を観ました。

項羽と劉邦 [ノーカット完全版] スペシャルプライスコンパクトBOX [DVD]

項羽と劉邦 [ノーカット完全版] スペシャルプライスコンパクトBOX [DVD]

  • 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
  • 発売日: 2015/07/15
  • メディア: DVD

全80話。うち21話から40話まで。

秦軍の章邯のもとに超高のスパイとして司馬欣がやってきた。劉邦たちは沛県を守るため秦軍と戦う。県令を殺してしまったので戦うしかなかった。命令を無視して雍歯が秦軍を撤退させたが、劉邦は褒美をやる。しかし雍歯は魏の宰相に文を届けさせ劉邦を裏切り任せられた沛県を取り魏王のもとに寝返る。劉邦は雍歯を討つために陳勝亡き後景駒に兵を借りに行く途中で張良に出会い、劉邦は張良と共に楚王である景駒のところへ行くが既に景駒は殺されていた。しかしわざと「景駒を殺しに来たのだ」と項羽に言うと、800人の兵を借りることに成功する。項羽は少し前に、桓楚とその弟をわが軍に入れるため説得しに行き、怪力で誰も動かすことのできない鼎を持ち上げて説得に成功する。項羽は范増に「楚王の末裔を探し正統な楚を建てることだ」と言われ懐王を迎えたので景駒が邪魔であったため殺したのだった。

項羽の下に一時期入った劉邦だったが、早く離れるべきだと考え始める。項羽に軍を入れ替えられて自分の軍で戦いたいと願い、最初は襄城を討つのにわざと撤退していた。その後必死になって秦軍と戦い勝利を手中にする。秦の捕虜5000人を生かしたいと劉邦は願ったが、捕虜を渡すと項羽はいとも簡単に5000人を殺してしまう。それを知った項梁は項羽を謹慎にする。

一方宮廷では宦官の超高を殺したいと思っている晨曦= 扶蘇の娘で、子嬰の姉は宦官の崇信に遭うつもりだったがやはり宦官の遅冕(ちべん)に閉じ込められてしまう。しかし崇信が助けてくれる。

項梁は章邯を見下しており、韓信が項梁に章邯の策を見破り説明しても邪けんに扱ったため、罠にはまった項梁は亡くなる。定陶に攻め入っている章邯と戦うのは自分しかいないと劉邦は考え定陶に入ろうとするも、樊噲に殴られ劉邦は気絶してしまう。後から劉邦のところへ項羽がやってくると、劉邦は芝居を打ち樊噲を鞭打ちにし項羽と劉邦は義兄弟の契りを結ぶ。定陶の郊外で戚夫人の家で厄介になっていた劉邦はその夫人を連れていく。項梁が亡き後懐王は彭城に項羽や劉邦を呼び寄せた。劉邦は武安侯となり屋敷も与えられる。

項羽の下から逃れ独立したい劉邦は、魏王=魏豹と組んで秦を討とうとするが、その時趙国の李良が謀反を起こし秦に寝返ったため、秦の戦う矛先は趙となった。毒蛇に噛まれて項羽の陣営に運び込まれた虞姫は元気になると項羽に項狄(こうてき)の面倒を看るように言われてるが、項狄は虞姫の父殺しでありそのことを知った項狄は趙へと逃げてしまう。項羽、虞子期、虞姫、鐘離昧たちは途中の秦軍の陣営を変装して抜けながら趙へと行き、仇討ちに行くと項狄は自ら自害する。敵の陣の中を変装して突破するのは鐘離昧が以前韓信から聞いていた策だった。

章邯は鉅鹿を取り囲んでおり、それを守る趙王と張耳は諸国に助けを求めると懐王のブレーンである宋義を頭に、項羽はその後をついて出陣。宋義はなかなか動かず軍兵が寒さと兵糧不足でいる中、宴会を開いていることにも納得がいかなかった項羽は宋義が斉と組み欺こうとしたと宋義を殺してしまう。

胡亥が心の病になったと演技をして超高を欺き、崇信は呼ばれて超高のために宮廷に15日で池を作り崇信は超高を暗殺予定でいた。時は章邯と晨曦の婚礼の時と決めた。しかし殺されたのは崇信で、超高を殺そうとした晨曦も自害してしまう。

劉邦のところに儒家の酈食其がやってきて名君を待っていたという。陳留を戦わずして手に入れられると言う。劉邦は酈食其の策を使う。楊熊を討ち、開封を討ち、張良が秦の軍服を着せた軍で加勢してくれる。「先に咸陽に入った者が関中王になれる」と懐王が言い劉邦は咸陽を目指していたのに、「あちこち寄り道しては(今度は白馬を攻めると言っては)兵たちも不満だ」「指揮権を返上する」と張良は劉邦に言ってくる。

項羽は鉅鹿を攻め、特に秦が作った甬道(ようどう)を攻めた。甬道は桶のように囲った道で食料をその中に入れて置ける道で章邯がせっせと作らせていた。劉邦は宛城を攻め陥落寸前に投降を勧めた。章邯は司馬欣に命を下し兵を要請。しかし司馬欣は咸陽で足止めを喰らい超高にも会えず仕舞い。超高は司馬欣を殺そうとしていて司馬欣は逃げて戻って来る。章邯は何のために戦っているのかわからなくなる。超高が胡亥を殺した報が入ると「功を立てても立てずとも待つのは死のみ」と章邯は泣き秦は終わりと見て、項羽に降伏をしたが、項羽は章邯に雍王になってほしいと言われる。

秦王の胡亥を殺しておいて陵墓に入れない超高は、次の秦王を子嬰(しえい)としたが、利用され殺されるなら先に超高を殺したほうがいいと考え仮病を使い呼び寄せ超高を殺害する。劉邦は、武関から咸陽目指し嶢関へ向かう。嶢関の関所を開かせるため盧綰と張良が交渉に行くと、一人の死傷者も出さずに戦うふりをして全員を投降させた。秦国では戦わなければ家族皆殺しの厳しい罰則があったので戦うふりをさせたのは張良の策だった。

どこでも腹の探り合い。色んな策を用いてよりよく生きようとするのはいつの時代も同じ。それぞれのキャラが面白い。naonaoお勧め度★★★★★[王冠]

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項羽と劉邦 King's War①  [中国ドラマ]

中国ドラマ「項羽と劉邦 King's War」(原題:楚漢伝奇)を観ました。

項羽と劉邦 [ノーカット完全版] スペシャルプライスコンパクトBOX [DVD]

項羽と劉邦 [ノーカット完全版] スペシャルプライスコンパクトBOX [DVD]

  • 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
  • 発売日: 2015/07/15
  • メディア: DVD

2012年の作品。IMDb評価は7・8。総製作費35億円。横山光輝のマンガ「項羽と劉邦」を読んだ後、司馬遼太郎の「項羽と劉邦」を読みつつこのドラマを観始めました。このドラマは80話と長いので先に本を読み終えてしまいましたが、ドラマは人物描写が特に優れていてマンガや小説では補いきれない部分が、役に嵌ったそれぞれの役者たちによってうまく演じられとっても良かったです。しかもドラマ「三国志」に出てた俳優たちがこのドラマ「項羽と劉邦」でも多く出演していて最初は「三国志」のその役周りが思い出されておかしかったけれど、観れば観れるほど「三国志」同様、それぞれの役がその俳優さんで大正解と思えるくらい役にうまいので「三国志」の役も忘れていきました。とても良かったです。

ちなみに「三国志」と共通する役者の配役は「三国志」で呂布のピーター・ホーが「項羽と劉邦」で項羽。静姝のリー・イーシャオが虞姫。張飛のカイ・カイが樊噲。魯粛のフォ・チンが張良。劉備のユー・ホーウェイが始皇帝。曹丕のユー・ビンが胡亥。袁紹のシュー・ウェングァンが超高…と言った具合。

以下1話から20話までのあらすじ。

亭長である劉邦のもとに集まっている一人、盧綰(ろわん)は役人の蕭何(しょうか)から3銭しか受け取らなったと嘘をついているが、劉邦はそれを咎めず「3銭というなら3銭だとお前の言うことを信用する」ときっぱり言う。そのうち盧綰は気まずくなって「嘘をついていた」と白状する。夏侯嬰も劉邦を慕い樊噲(はんかい)も「兄者、兄者」と劉邦が大好き。役人の蕭何も何かと劉邦の面倒を看たりして仲が良い。近所に呂氏が引っ越ししてきて引っ越しのための宴会の席料が1000銭のところ劉邦は10000銭を出し出席。呂氏の娘の呂雉が婚約破棄をしていた相手が宴会に乗り込んできたときに、劉邦たちはその相手を追い返し大手柄を立てるとたちまち劉邦と呂雉の婚姻が決まってしまう。劉邦はそれまで付き合っていた曹の姐さんと別れることに。彼女のお腹には劉邦の子供がいた。その頃秦の始皇帝が地方へ巡回の旅に出てるところを、張良が倉海君と共に始皇帝の命を狙おうとしていた。しかし暗殺は失敗。張良だけは何とか逃げることができた。始皇帝はその場所の100里四方を焼き尽くすように命を下す。また不老不死の薬を徐福に求めさると、蓬莱島に行くためにサメを殺さなければいけないと徐福が始皇帝に言う。始皇帝は海神を征伐、サメを退治する夢を見て徐福に騙されたと思う。その後始皇帝は巡回中に亡くなり死臭が酷かったため、宦官の超高は始皇帝の好物と称して塩漬けをわざと近くに運ばせ匂いをごまかした。また超高は扶蘇を皇帝にという始皇帝の遺言を違え、自分に都合のいい胡亥を皇帝にしてしまう。胡亥は「快楽を極める」と言って超高の操り人形のようになり政は全て超高が請け負った。

張良は馬車で移動しているとき秦の役人に身体検査を受けさせられそうな項伯を助け、困っているならと家にまで招待する。また項羽は虞子期と出会い仲良くなり、項羽が見染めた虞姫の兄であることが後からわかる。韓信はその頃李桃の家で食事をご馳走になりその奥さんに煙たがられ、街中ではチンピラに絡まれ股くぐりをしろと言われるままに股くぐりをして笑いものになっていた。

労役の命が下った蕭何は劉邦に頼み100人を集めていたが変更になり300人を集めなければいけなくなった。秦の法律では到着が遅れても殺され、人数が集まらなくても殺される。それなら行くのを止めて山の中でひっそりと隠れていようと劉邦は考え、他の人にも自由意志を尊重したがほとんどが劉邦と共に山に居残った。食糧なく飢えてしまうため、人殺しをせず金持ちの家からのみ食糧を奪うことにした。項羽たちもその頃さすらい腹を空かせていたが、郡司の殷通に仕え厄介になることにする。ここで殷通の部下である鐘離昧や李布に出会う項梁や項羽。項梁たちは楚の復興のため戦いの準備を密かに行い、殷通に隠れて剣の密鋳をしていたが殷通にバレてしまったので解散を仲間の前で発表。しかし項羽はそれを聞き殷通のところに謝りに行くとあっけなく許された。そして陳勝と呉広の大沢郷での蜂起があり、項羽たちも立ち上がった。一方劉邦たちは蕭何の手紙で県令が下山を許してくれることを知り下山。郡司の城を乗っ取り県令を殺し、沛県の人たちの望み通り劉邦が沛王となる。宮廷では胡亥のお妃選びが始まり、李斯が胡亥にお目通りを望むも超高が門前払いをし胡亥には世の反乱が耳に入らない。超高は李斯が謀反を起こしていると胡亥に伝え李斯を牢に入れ後に処刑してしまう。超高は他の宮廷の大臣たちの前で鹿を馬と言わせ、胡亥を差し置き天下を我が物にしていた。項羽は父を亡くした虞姫と再会。一家が襲われた時に虞子期が行方不明となり今は一人っきりになってしまった虞姫を守る。韓信はこのころ李桃のところを去り軍に入る決心をしていた。雍歯と盧綰(ろわん)は軍の訓練強化中だったが雍歯が婦女暴行事件を起こし死罪となったところに、女性が現れ合意の下だったと証言し死罪は免れむち打ちの刑となる。劉邦は沛県の民の前で示しをつけた。またその後食糧不足となり秦の食糧を部下たちに襲わせた。

項羽は東郡を討ちに行く。その後も戦いに戦い大将軍になる。秦では章邯(しょうかん)が少府=漁業の税取りたて役から将軍に任命される。またお互いに心を寄せている扶蘇(ふそ)の娘の晨曦(しんぎ)との婚礼を超高のはからいでして晨曦を章邯の人質とした。章邯は兵不足から囚人も軍に加えるよう進言。兵になって3人以上人を殺せば家族全員を奴隷から解放すると囚人兵に伝え鼓舞した。早速囚人の英布に2000の兵を引かせ項羽と戦わせたが、項羽は英布に項羽軍に入らないかスカウトした。超高は胡亥を病気に仕立て人前には出させないようにした。人と会わないようにしなければ仙人が下りてこず結果病気は治らないと胡亥に諭した。

naonaoお勧め度★★★★★[王冠]

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書くことの不純 [本]

最近読んでた本です。

書くことの不純 (単行本)

書くことの不純 (単行本)

  • 作者: 角幡 唯介
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2024/01/22
  • メディア: 単行本

角幡唯介の本。探検する人は普通書くことを前提にしていないけれど、書くことが職業となった自分は、書き手の自分が探検する自分に探検中にちょっかいを出してきて、探検の中でこうしたほうがもっと面白いものになるのはないかと考え始める。書くことが探検する行為にとって不純だ、と言っている。

沢木耕太郎の「深夜特急」のことを角幡が沢木と対談した時質問したらしい。沢木は作品にする意図はなく日記もつけていず後からメモを頼りに書いたと言っていたが、角幡は作家である以上いつか書けるかもという意識が全く働かなかったはずがないと言う。夢枕莫の「神々の山嶺」の例を出し本当にやりたい登山をする羽生=内在的行為に生きる羽生と、世間的な目を気にして生きる深町=関係的に生きる深町を引き合いに出す。また芸術的な冒険ということでクルティカの名前を挙げている。到達を優先させる旅なのか、狩りや釣りを通じ大地そのものと結びつく旅なのか。角幡も後者を自らの旅に選んでいる。

三島由紀夫の「金閣寺」にも触れ「はみ出し理論」を展開。本筋系の登山家はエベレストや7大陸最高峰みたいなものに飛びつく登山家を胡散臭いと感じていて、それは山に対する不純さにあると言う。ただ純粋さを目指す登山は内なる衝動から発していて外の体系から次第にずれはみだす宿命を背負っている。金閣寺を焼いた溝口は自死するつもりだったのにそれを変更して生きることに決めたが、そのラストが小説からはみ出していると。三島の生き方にも触れ、肉体改造が「言葉ではその何かに絶対に届かない」=「実在の精髄」でこれは「死の余白」「自分の山」と同じで、どんなに山を極めてもその一歩手前までしかたどり着けず、たどり着くことができるのは遭難死したときだ、と角幡が言う。また開高健がベトナム戦争に加わった後釣り三昧に転じたが、角幡も狩りや釣りを自らすることで見えてきたものが違うという。登山者よりはるかに土地と一体化するということで、開高はわかっていたが三島はそれを言葉の上でしかわかっていなかったような気がするという。

猪瀬直樹の本に「奔馬ー豊饒の海第2巻」で飯沼に宇気比という占いの秘儀をさせなかったのは、三島の自死もスケジュールを練って実行させていたはずと指摘しており、三島の神輿論や肉体透明論も言葉の上での理解しかなかったのではと角幡は思う。行為するには必ず相手がありそこからの反応があり、こんなところに来るつもりはなかったのに…と、それこそが経験でそれが不足していたのではと言う。「何者かになったあとに何者でもなかった10代に戻るというのは理解しがたい」と。三島の死の直前に古林尚がインタビューしており、「30代、40代になってから無条件に10代の思想を信奉することは不自然で、その無理な姿勢が三島美学が観念の世界にのみ浮遊する。リアリズムと離れて情念にのみ固執せざるを得ない。現実乖離の傾向が(自死の)大きな要因」だとする。三島は夭折者の美に憧れたが、実際には既に45歳にもなっていた。2020年に三島の死後50年を記念し様々な企画が催され「もし三島が自死せず天寿を全うしノーベル文学賞でも獲っても50年後に果たしてこれほどの注目を浴びるだろうか?」と角幡は言う。

記者の「あなたの冒険は社会の役に立っていますか?」の質問からこの本が生まれたみたい。こうして多くの人に本を読まれているのだからもちろん役立っているよ、と私は言いたい。社会のためになることをしようという気持ちは立派だけれど、自分が何をしたいのか、自分の中から湧き上がってくるその気持ちからする何かは結果として人に影響を及ぼしている。その方が純粋でいい。その方がその人を生き生きと生きることに繋がる。生き生きと生きる人が多い社会であればその方が断然いい。私も海外ばかり行ってた時期に「何でそんなに旅行ばかりするのか?」とちょっと非難めいた感じで言われることが何回かあった。その質問は「なぜあなたは生きてるのですか?」と同じ質問だなあと思ったのを思い出す。海外を回っていれば「あなた一人で回ってて凄いわね」「旅は学びで素晴らしいもの」と旅することが絶賛されるのに。角幡は「…自分の思いが誰かに伝わり面白いねと言ってもらえたらこの反応に救われる。…人生が間違っていたなかったこと、正当であると認められてることの証になるからだ」と書いているが、自分の人生は間違っていなかったと感じることが私もつい最近あった。藤井風の「満ちていく」を聴き、その歌詞に涙し自分の人生を振り返る機会になりそれでそう思えた。「grace」を聴いた時も私が旅で学んだことをこの歌詞の中に見出し涙した。言葉の上のことだけでない経験による実感みたいなものが自分の中に確実にあるから。自分が本当にやりたいことをやっている人は皆誰もが素晴らしい。私は三島の「豊饒の海」が好きだし、沢木の「深夜特急」も好きだし、角幡の本のどれもが好き。角幡がチベットの冒険をした時点で縁を感じてたけど、三島や沢木を取り上げるとますます縁を感じる。

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項羽と劉邦12~四面楚歌 [本]

「項羽と劉邦12~四面楚歌」を読みました。

項羽と劉邦 12 (潮漫画文庫)

項羽と劉邦 12 (潮漫画文庫)

  • 作者: 横山 光輝
  • 出版社/メーカー: 潮出版社
  • 発売日: 2001/09/20
  • メディア: コミック

横山光輝のマンガ。

漢は彭越に楚の食糧貯蔵庫を焼き払わせたので、劉邦は楚に成皋(せいこう)城を取り囲まれても楚軍は食糧が尽きて3日のうちに退避するだろうと睨んでいたが見事その通りになった。韓信や英布がすぐに駆け付けてこないことに劉邦が不平を漏らすと、張良は恩賞が足りないと指摘される。そこで劉邦は韓信を三斉王に、英布を淮南王に、彭越を魏王豹の後釜として大梁王(梁は魏の異称)として認め独立王国とした。その知らせを張良は3将に知らせに行き、成皋に来てもらうように話して回った。そして成皋に3将軍が兵を連れて集まると実に兵は120万にも膨れ上がっていた。韓信に全軍の指揮を任せ、簫何には兵糧手配を任せた。劉邦は兵士たちに兵糧は劉邦が責任を取り、戦士病死した者は恩賞を取らせ、残された家族には厚い手当をし、後継者がいれば戦没者の官職をそのまま相続させると約束。兵士たちは喜び兵士たちの士気は上がった。

項羽は舒六(じょろく)にいる周殷に高飛車な檄文を送るが国内の盗賊討伐を優先しすぐには駆けつけられないとの返事を周殷はしたため項羽は激怒する。また会稽(浙江省)の太守、呉丹にも檄文を送ると呉丹は10日で駆け付けると言う。呉丹の兵、近隣の若者たちを兵士に募集して全部合わせても楚の兵士の数は漢の兵士の数の半分にも満たなかった。

韓信は項羽と戦い勝つためには九里山の南にある垓下(がいか)である必要があると説く。どのように項羽を垓下までおびき寄せるのがいいのか、そばにいる元趙の知恵袋である李左車に尋ねると、李左車は「埋伏の毒」がいいという。それは偽って楚に投降し項羽に近づき、言葉巧みに出陣をそそのかすことで、李左車自らがその役目を担うと言う。早速李左車は楚の項伯のところへ出向き、項伯は何か釈然としないながらも許可し李左車は項羽のそばで仕えることになった。そして漢軍は出発。彭城近郊に陣を張った。

その頃韓信は沛県の楼に「項王の頭を斬る」といった内容の文を掲げさせた。項羽はそれを知り益々出陣したいところだったが、これは韓信の策で当分籠城するのが一番と部下に言われる。しかし翌日会議を開き、李左車に攻撃するのがよろしいと言われるとすっかりその気になり出陣を決める。出陣時に城の旗が折れ不吉なので出陣を取りやめたほうがいいと言い出すものも出て、虞姫にまで止められ心揺れた項羽だったが、李左車の漢軍の兵糧が底をつき始め韓信が退去の準備をしていると言う偽の情報を伝えることで、項羽は出陣した。その間別の部下たちが漢軍を探りに行き兵糧が十分あることが知れ、李左車を呼び出すも既に彼は逃げた後だった。項羽は騙されたことにショックを受け虞姫に慰めてもらった。そしてまた項羽は戦うことにした。漢の兵糧さえ尽きれば勝利はこちらのものだと考えたからだ。まさか自分の方が兵糧が尽きて敗れるとも知らず。

韓信の作戦はこうだ。漢王自ら先に囮になってもらいその後李左車が出て漢王からバトンタッチ。悪口を言いながら項羽を垓下まで引っ張ると言うものだった。樊噌(はんかい)の目の良さと決断力の速さを買い、九里山から全軍の指示を出す重要な役を韓信は樊噌に与えた。そして漢楚は激突。漢軍の策通りに戦が進み楚軍は50万の兵士が5万の兵士になってしまった。項羽は彭越に戻り兵を整えたかったが彭越には既に漢の旗が翻っていた。項羽は漢の手薄な江東へ向かい、漢の本陣が埋伏していることを知らず漢の真ん中に陣を張る。四方八方から来る漢軍の60余りの将軍と朝から晩まで戦う項羽。項羽の強さは格別で、漢の想像を超えていた。

そこで張良は楚軍の兵士たちの望郷の念を駆り立てるため、漢の兵士たちに楚の歌を練習させ10日で覚えさせた。四方から聞こえてくる楚歌に涙する楚の兵士たち。漢が楚を占領して投降した楚兵が歌っていると思い込み、楚兵の9割は逃げ出した。兵士たちが逃げ項伯も漢の陣へ、鐘離昧も李布も雑兵と共に逃げたので項羽に残った兵は800人ほどになった。孤立し八方塞がりで困った状況に追いやられるこの「四面楚歌」はここから来ている。

項羽は虞姫を連れて行くのを止めようと虞姫に話すと、足手まといになるならここで命を落とすと言い虞姫は自害した(これは有名な京劇の「覇王別姫」に描かれた)その後を追って弟の虞子期も死ぬ。二人を埋葬すると虞姫(虞美人)の墓からひなげしの花が一輪咲き、人々は虞美人草と呼んだ。

項羽は強行突破で300人の兵を失い、楚軍の攻撃を受けその後400人の兵を失い逃避行を続けるが、項羽に恨みを持っていた農夫が間違った道をわざと教え、項羽は漢軍の待ち伏せにあう。それでも楚軍から逃れ荒れた寺で一夜を過ごすと夢を見た。日輪が落下し青い服の少年が東から赤い服の少年が西から来て赤い服の少年が青い服の少年を倒し日輪を掲げて持ち帰る夢だった。これは秦の始皇帝が昼寝をしてみた夢と同じものだった。項羽は72発赤い服の少年が殴られながら最後は日輪を手にしたのを、劉邦の体のほくろが72個あったことを思い出し、これは天啓であがいても逃れらない運命なのだと観念した。残る楚軍はわずか28人。楚の28騎は窮鼠猫を嚙むのごとく漢軍に囲まれても尚激しく戦うが、その後烏江で舟に乗ることを拒否し、武将らしく最後まで戦場で戦うことを決意。村人に愛馬烏䮔(うすい)をあげると烏䮔は項羽のところに戻ろうと舟から水の中に落ち亡くなってしまった。虞姫も亡くなり愛馬烏䮔も亡くなった今、項羽は自害する。24歳で挙兵し8年戦い31歳の生涯だった。この垓下の戦いで項羽が死に劉邦が勝利し楚漢戦争が終わった。漢軍の兵は恩賞欲しさに数十人が争い亡くなった。項羽の5体を斬り残りは胴体だけがその場に残った。劉邦は皇帝に即位し2年後長安に都を開いた。

有名な「四面楚歌」、京劇の「覇王別姫」、虞美人草の由来など知れて良かった。始皇帝の命令で不老不死の薬を求めた徐福の痕跡が日本に残っていることも面白いと思った。項羽は戦に強かったけれど、最後に笑ったのは能力さえあれば幅広くどんな身分も問わない、しかも敵の降下もすぐに認める劉邦だった。劉邦は中年まで遊び人であまりパッとしなかったけれど人から好かれる性格でもあり、多くの優れた軍師たちを抱えることができたのが良かったのだと思う。この「項羽と劉邦」は他にも小説やドラマにもなってるので今度はそちらにトライしたい。

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