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項羽と劉邦~司馬遼太郎著  [本]

司馬遼太郎の「項羽と劉邦」を読みました。

項羽と劉邦 上巻

項羽と劉邦 上巻

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2024/01/25
  • メディア: 単行本
項羽と劉邦 中巻

項羽と劉邦 中巻

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2024/01/25
  • メディア: 単行本
項羽と劉邦 下巻

項羽と劉邦 下巻

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2024/01/25
  • メディア: 単行本

横山光輝のマンガ「項羽と劉邦」を読み終わってから、中国ドラマ「項羽と劉邦」を並走して観ながら読みました。司馬遼太郎を読むのは初めてでしたが、たくさん出てくる人たちの心情描写をしながらストーリー展開させ、その上時々わかりやすいように司馬遼太郎が説明してくれる文章が入っていて、この書き方もなかなかいいなあと思いました。マンガで大体のストーリー展開を頭に入れていたため、知らない人物の名前が出てきてもそれほど混乱せずに読めました。メインの人の名前さえわかれば大丈夫という感じ。「三国志」のようにマンガ、ドラマ、小説がそれぞれを補い合い、「項羽と劉邦」も同様どんどん肉付けされてよりよくわかっていくのが楽しかったです。

劉邦の邦の字はもともと「にいちゃん」時に「ねえちゃん」という意味で、劉兄哥(りゅうあにい)という意味であり、邦が名前というわけでないらしい。また劉伯の伯も「長男」という意味で、劉仲の仲も「次男」という意味なので、それぞれ劉の長男、次男と言っているにすぎないと言う。項梁には妻がいずにあちこちに女がいて後々甥の項羽が天下を取った時に自分の妻の一族が口出ししてくるのを恐れて結婚していないという事情も面白かった。劉邦が極力人殺しを避けできれば降伏させて自分の部下にして一方、項羽は人を殺し残忍なことは描かれていたけれど、20万人の兵を抗した(あなうめした)というのが何度も出てきて改めて何と残忍なと思ってしまった。

樊噲(はんかい)が狗の屠殺主であることや、劉邦の嫂が意地悪だったため劉邦が嫌っていて他の親戚たちには皆何かしらの位をあげていたのに嫂の子供たち(劉邦にとっての甥や姪)は黙殺し侯などの位も与えなかったというのも面白かった。マンガでもドラマでもあまり描かれてなかった気がする。劉邦の妻の呂雉に嫂が意地悪していたのはドラマでもたくさん描かれてはいたが。ここまでが上巻。

張良、酈食其(れきいき)の活躍、鴻門の会で項羽と劉邦が義兄弟の契りを結んだにも拘らず、劉邦は范増の策で殺されかかりそれを張良と樊噲によって助けられ、項羽から劉邦は巴蜀漢王に封ぜられる。簫何の計らいで儀式を行い韓信は劉邦から大将に任じられ、強かった秦の章邯(しょうかん)は韓信によって殺された。章邯の活躍はドラマの方が格好良くたくさん描かれていた。宮廷では既に超高が胡亥を殺し超高は子嬰に殺される。宦官である超高が天下をわがものとするために胡亥を閉じ込め全く政をから遠ざけようとする様も、ドラマではもっと詳しく描かれていた。夏侯嬰が馬好きで馬を育てる李三のところに通っていた時に李三が亡くなりその娘と結婚するエピソードは初めて知った。陳平が項羽の部下たちが項羽の知らないところで劉邦と通じているように策を練り、項羽に猜疑心を芽生えさせる策で亜父と呼ばれていた范増が追いやられ、帰省途中で亡くなってしまうあたりから項羽がいくら優勢な立場にあったとしても雲行きがおかしくなってくる感じだった。滎陽城から劉邦を逃がすために紀信が劉邦の替え玉となり、城を守った周苛と共に殺された。ここまでが中巻。

下巻は韓信が大活躍。李左車を師夫と呼び意見を求め、陳余を殺し張耳に趙王になってもらう。酈食其(れきいき)が斉王と田横に会いに行き煮られ亡くなり、その後韓信が斉を取り蒯通(かいとう)の案で仮の斉王を劉邦に認めてもらうようにしたが、劉邦は正式な斉王として韓信を認めた。韓信のところに楚の項羽の部下の武渉やって来ると、韓信はその意思が全くなかったのにも拘らず謀反の恐れありと劉邦に殺される。何でも劉邦の妻の一族呂氏の策略だという。韓信のブレーンでもあった蒯通は殺されるギリギリのところで劉邦にたくさんのことを喋って許され命拾いする。項羽のほうは梁を平定し虞姫と出会い、韓信によって四面楚歌により楚軍は追い詰められ、虞姫は自害し項羽も亡くなる。5つに分けられたその項羽の遺体の一部を持ち帰った部下たちは劉邦に褒美をもらう。その描写も生生しいけれど、もっとショッキングだったのが彭越が梁王になり謀反の疑いで殺された時、その遺体は塩漬けにされ諸侯に送り届けられたと言う。食人習俗(カニバリズム)があったという。また劉邦が敵に追われて必死に逃げていた時、一緒に連れていた子供を車から放ったらしい。しかも何度も何度も。子供の命より親の命が大切という思想があるらしい。こういった事柄は本に書かれていることから知ったことだった。また司馬遷の「史記」は「項羽と劉邦」が亡くなって半世紀ほどしてから司馬遷がリサーチして書いているものらしく、きっと項羽や劉邦のことを知っている周りの生き残りの人たちから生に聞いたことを書いていると言っているのも面白いと思いました。最後に項羽が亡くなったのがわずか31歳で、日本では弥生時代の頃だったというのも面白い発見でした。吉川英治の「三国志」で曹芳と司馬懿と卑弥呼が同じ時代と知った時と同様の衝撃を受けました。

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naonao

>nice!をいただき、皆様ありがとうございます。
by naonao (2024-04-18 15:31) 

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