SSブログ

項羽と劉邦10~劉邦の反撃 [本]

「項羽と劉邦10~劉邦の反撃」を読みました。

項羽と劉邦 10 (潮漫画文庫)

項羽と劉邦 10 (潮漫画文庫)

  • 作者: 横山 光輝
  • 出版社/メーカー: 潮出版社
  • 発売日: 2001/07/23
  • メディア: コミック

横山光輝のマンガ。

漢から戻った虞子期(ぐしき)が范増が漢と通じてる証拠の書簡を持ち帰り、項羽は激怒する。范増が張良の策であると言っても項羽はまだ半信半疑なので范増は引退を宣言。故郷に帰る道すがら倒れ亡くなってしまう。項羽は項伯を軍師とし楚軍は滎陽(けいよう)城を攻めた。漢軍は劉邦に似た紀信を劉邦の影武者にし漢は楚に降伏すると嘘をつき、劉邦を成皋(せいこう)城に逃がして影武者を差し出した。影武者の紀信は亡くなる。

楚は滎陽城を落としてから彭城、成皋城の順で落とす計画でいた。漢が守っている滎陽城には平民に落ちた魏豹が来て楚への降下を勧め、それにより魏豹は首を刎ねられた。彼の首を見た兵士たちはそれによって士気を高め城を守った。楚の決死隊によって滎陽城は落とされた。

項羽を帰らせるために王陵は彭城を攻めた。一方項羽は成皋城にいる劉邦のところまで行ったが何の反応もないことを逆に恐れ撤退した。その間劉邦は成皋城を出た。韓信の軍が近くまで来ていたので劉邦が韓信のところに寄ると警備が薄く韓信は酒を飲み眠っていたため劉邦は激怒。韓信は張耳と共に趙へ行くよう命じられる。

酈食其(れきいき)は「敖倉(ごうそう)の食糧庫さえ死守すれば滎陽城も成皋城も守れる」と言い、楚軍の敖倉の食糧庫を焼き払う作戦に出た。

彭越(ぼうえつ)が梁の17の城を制圧すると項羽が攻撃しに来た。彭越はこっそり城を抜け出し北上して次々他の城も開けさせ各地の食糧を劉邦に送った。その間外黄城は仇明、仇叔親子に任せた。外黄城には項羽がやってきて15歳以上の男子を皆殺しにすると言う。そこで立ち上がったのは13歳の仇叔だった。「殺せば他の民が抵抗し、逃げる民は項羽の非を告げ、協力者は皆無となる」と項羽に謁見し話すと、項羽はそれを聞き入れ生き埋めにするのを止めることにした。その後梁の17の城を全て取り返した。

劉邦は成皋城を取り囲み、ここを守る曹咎(そうきゅう)の籠城を打破するため短気な曹咎の罵詈雑言を兵士たちに言わせ外におびき寄せ曹咎を自害に追い詰めた。英布が後から軍を連れて来たので英布に成皋城を任せ、劉邦は滎陽へと駒を進めた。敵の鐘離昧が近くまで来ていたため、劉邦は4将に挟み撃ちをするよう命令。鐘離昧を逃したが戦利品を持ち帰った。それを知って彭城を先に討とうと思っていた項羽はそれを諦め、滎陽に向かった。

韓信は趙にいた。軍の訓練を行い斉を攻める機会を伺っていた。また酈食其は自ら斉王を説得すると劉邦に進言し斉へ出発する。そのことを韓信に連絡することはなかった。酈食其が見事斉王を説得すると斉王は韓信の攻撃しないとの約束が欲しいと言い酈食其は韓信の一筆を書かせ届けさせた。韓信は斉の攻撃を止め撤退しようと考えていたが、仕える蒯通(かいとう)が「手紙だけでは本当に酈食其が斉王を説得できたのか疑問。また酈食其は舌先だけで斉の70の城を取り、韓信元帥は1年かけて数万の兵を率い趙の50の城を取っただけ。劉邦様の中止命令もないのに軍を引き上げてもいいのだろうか?」と言って来た。韓信はそれを聞き、劉邦の命令通りに事を進めることにすると酈食其はまた書状を送ってきた。しかし韓信はこれが任命に背いているのか従っているのかがわからなくなっていた。秘密裡に酈食其が斉王を説得したことが理解できず、漢がいる間は斉は従っていても退けば背くだろう、その時になって斉を滅ぼそうとしても遅い、と韓信は嘆いた。酈食其を見殺しにせざるを得ず、酈食其は斉で油の釜茹で殺された。斉王は高密城に逃げ、楚軍の援軍を待った。韓信は臨淄城(しんしじょう)を落とし、高密へと向かった。

巻末は項羽と劉邦が睨み合った広武山の楚漢二王城を行く旅。また面白かったのが、「三国志演義」に約200年先立つ講釈師のマニュアル本「三国志平話」の中に、冥界の裁判のシーンがあり、次の人が三国志のそれぞれの人物に生まれ変わるように言われたという。韓信は曹操。彭越は劉備。英布は孫権。劉邦は献帝。呂后は伏皇后。蒯通は諸葛孔明。司馬仲相(光武帝時代の書生で裁判官を託された)は司馬懿。こちらもちょっと読みたい気分。

nice!(15)  コメント(1) 
共通テーマ:映画

nice! 15

コメント 1

naonao

>nice!をいただき、皆様ありがとうございます。
by naonao (2024-03-28 19:25) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。