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「生と死後」の真実 「生と死後」の真実2 [本]

最近読んでた本です。


「生と死後」の真実 Life&Death ~死後にわかります。この本が真実を伝えていたことを。

「生と死後」の真実 Life&Death ~死後にわかります。この本が真実を伝えていたことを。

  • 作者: 伊勢白山道
  • 出版社/メーカー: 観世音
  • 発売日: 2021/07/10
  • メディア: 単行本

ブログを普段から読んでる伊勢白山道山さんの著書。もともと死後の世界は興味あることだったので、今までもたくさんの死後に関連する本は読んできました。死後に関する本は久々ですが、この本にも同じようなことが書かれています。死後の世界があり魂は永遠であること。ただ今生きている普段からの3本のお線香による先祖供養や神祀りを勧めている点が伊勢白山道式。特に先祖供養は自分の遺伝子さえも変え生きる流れさえも変えると言うのがとっても画期的。自分の知らない先祖のお陰で今の自分もあり、先祖に感謝の気持ちを捧げ、特に父が亡くなった時には残された自分、遺族が供養のために生きるようにと言ってる言葉にとっても慰められました。多くの肉親や愛する人を亡くした人には「亡くなった人の供養のためにあなたが生きて供養をしなさい」という言葉は本当に励ましになると今でも思っています。

この本の表紙の色はチェレンコフ光、青色発光ダイオード、スサノオブルー。人が死ぬときに魂が人から抜ける時の色でインドのシバ神の色でもある。この色を見ると人が正気になるので、この色の電灯を照らしておけば犯罪も自殺も減ると言う。「自分の内在心がすべてを知っているから死後では自分の良心が裁く」「誰でも使命があるから生かされている」「この世の人の人生とは感謝すべきことに、漏らさずそのすべての気づくことに挑戦中ということ」「悩みながらの人生もいずれは終わる。深刻ぶることは何もなかった(とあの世で思う)」「どうせ歩くならば笑いながら歩けばよい」「自殺をすればもっと苦しくなる」「事前の、予想の心配だけで自ら死ぬな」「本当に体験してみろよ。全ては変わっていくから。心配するな」「先祖全体への供養をしていけば、亡くなった縁者も必ず救われていく」「供養は共に生きること」「最期の最後まで生きようと思うことが、生きながらこの世からあの世へと渡る秘訣」「現れるすべてが自分にちょうどいい(ようになっている)」「肉体は大切にするが執着はしない」「どんなものも期間限定で、自分が預かっているだけのもの」「生きている間に、自分が知らずに受けて来た御恩に気づけることが悟り」「生きてるだけで有難い」

この世に誰もが経験するために生まれてきた。だからどんな経験も尊い。今あることに感謝しながら生きていきたいと改めて思うのでした。

「生と死後」の真実 Life&Death 2 ~死後にわかります。この本が真実を伝えていたことを。~

「生と死後」の真実 Life&Death 2 ~死後にわかります。この本が真実を伝えていたことを。~

  • 作者: 伊勢白山道
  • 出版社/メーカー: 観世音
  • 発売日: 2023/12/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

「生と死後」の真実2。基本的に最初の本と同じで、普段の伊勢白山道さんのブログの神髄をまとめたものです。「死後の続きはある」「やり逃げはできない」「神様はすべてを観ている」「思いやりが深い人は若返る人が増え始める」「思い通りにならないから、楽しい」~あの世に行くと普通の霊界に行けた人は何でも思い通りにできる世界に入るが、これが飽きてくる。それを経験したくてこの世に生まれてきている。「心だけは年をとれない常若」「未来の自分が今の苦しい自分を見ている」「もしダメであってもその経験が自分に必要だった」「この世だけが自分の選択により、勇気により変化が起こせる唯一無二の次元」「…自分が死んだと気づいたときは、最初に見えた光の方向へ、光のカタマリの方へ、何の疑いもせずに、不安にならずに、躊躇せずに、はーいと子供に戻った気分で、楽しい気持ちランランで、そこに急いでください…」「バックアップデータの集積場=霊界、あの世である」「供養時に思う良い思い出が、故人への最高のプレゼント」「人の死には人智の及ばない様々な途方もない「重なり」があってこそだと思うこと」「故人に死んだ理由を思わない、問わないこと。供養していく決心を思うことが故人を助ける」「終わったことに対して、理由を問い続ける癖をやめること」「嫌な故人を思い出すことがあれば、心中で謝っておくこと…これが自分自身への最高のお祓い、浄霊になる」「幽霊も愛情を受ければ、改心して守護霊になる」「自殺しても悩みのリセットは絶対に起こらない」「自分が一番逃れたかった心痛や、苦境、虚無感の中での固定化が起こる」「自分で見えない壁を作らない」「日々の習慣性が人生を決める」「神仏に感謝する習慣、先祖供養や神祭りの習慣」「…般若心経の本質は「あなたは非常によく頑張りました、もう十分です、もうがんばらなくてもいいんだよ、この世界ではもう死んでいるから次の世界へ行きましょう、川の向こうへ行きましょう…ということ」「死ぬ間際の人に釈尊が掛けた言葉は、「最期の最後まで、自分の心が清らかになるよう努力しましょう、…素直に反省しましょう、…自分に関わってくれたすべての人に、今こそ感謝しましょう、心を明るくして、死に向かう準備をしながら、がんばりましょう」」「故人はあの世について語ってはいけない掟」「途中(ing)の中で去っていく」「…自分なりに一生懸命したならば中途半端でも良し、最高!とする生き方を学んだほうがいい」「辛いことはこの世で体験しておいた方がお得」「雨降らば降れ、風吹かば吹け(一休さん)の心境で生きる」「普段から一期一会の気持ちで暮らす」「愛情や感謝の気持ちを持ち続けること」「苦しい中ほど、それがチャンスだった」「理不尽で苦しい中でも明るく生きて、他人のためになりたい行動をするのがあの世で暮らす最高の貯金」「誰もが冒険家で、旅人で、大いなる母性に戻るチャンスを求めてさまよいに来てる」「大いなる母性(良心、内在神)が納得するような生き方を、どんな環境の中でも満足させることがゴール」「過去の因果をそれとは違う内容の苦労で、昇華を体験することもある」「生きてさえいれば大丈夫」「自分のことだけを考えず、全体を大切にする気持ちが、様々な幸運を呼ぶ近道」「草葉の陰の存在を忘れない」「自分の善徳貯金を増やすために、嫌いな存在も必要だったともいえる…」「思いやりを出す人は報われていく」「良くなれる理由(因果)の種まきが大切」「自信(自神)をなくさなければ大丈夫」「信じるべきものは、自分の心の良心に住む自神」「感謝だけを置いていく先祖供養。正しい先祖供養は先祖も救いながら、実は死後の自分を救っていく」「この世は仮の世界だから、何があっても大丈夫」「あの世にいた自分が、この世の仮の世界の「お試し」に挑戦したいと手を挙げたことを、誰もが忘れている」「今の自分の生活が、来世の環境を細かく決めている」「あなたは、わたしである」「理由なく嫌いな相手ほど、深い縁がある」「そういう相手には何を言われても、気にせずに流すことで縁が消えていく。馬耳東風」「あの世は行けばわかるよ」「この世のどんなことも、嬉しいことも悲しいことも、嫌なことも苦しみも、命さえも期間限定」

毎日の伊勢白山道さんのブログも楽しみですが、こういった本にまとまってみるとそのエッセンスを発見し、いいことを書いているなあと改めて思います。こういう風に考えられれば、生きることがまた違ってくるし、辛いことも悲しいことも何とか乗り越えられる。少しは軽い気持ちになれると思う。昔よしもとばななの本を読んでた時「ただ、生きていればいい」と言う言葉に出会い、涙したことがありましたが、人は言葉に癒される。この本にはそういう癒しの言葉がたくさん入っていると思う。

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マンガで読破史記 史記入門 「史記」で学ぶ故事成語  [本]

「三国志」「項羽と劉邦」と観たり読んだりして来たので、今度は「史記」を知りたいと簡単な入門編的な本を手に取りました。

史記 (まんがで読破 MD128) (まんがで読破 128)

史記 (まんがで読破 MD128) (まんがで読破 128)

  • 作者: 司馬遷
  • 出版社/メーカー: イースト・プレス
  • 発売日: 2013/11/30
  • メディア: 文庫

まんがで読む「史記」。序盤「史記」を書いた司馬遷の人生が書かれてあり、友人の李陵が謀反の疑いで捕まり司馬遷も擁護して捕まり宮刑(男性の生殖器を除去される刑)となりその後も2年獄中生活。家柄が代々正史編纂の仕事に就いていてその仕事を引き継ぎ使命感を持って「史記」を完成させたとのこと。「史記」の最後の方は既に知っている秦の始皇帝や項羽と劉邦に関してなので余計にサクサクと読めました。

「史記」に描かれているのは2000年の歴史。君主、王朝の変遷=「年代記」、年表、王族、重臣たちの系譜=「表」、礼制、歴法、天文、治水、経済記録=「書」、地方統治の諸侯たちの記録=「世家」、王や諸侯でない個人の記録=「列伝」からなる。黄帝が中華民族の始祖であり、そこから5帝時代があり、夏王朝、殷王朝、周王朝、戦国時代へ突入し、秦、漢へと続き漢の武帝まで。

夏王朝の開祖は禹、殷王朝の開祖は湯王、30代が紂王(ちゅうおう)で、紂王の妲己(だっき)の溺愛で酒と色の日々の「酒池肉林」の語源となった話や、周王朝が200年続いた最後に引き継いだ幽王が笑わない妃のために間違いで狼煙をあげて妃が笑ったことから有事でもないのに頻繁に狼煙をあげて本当の有事の時には誰も王を助けに来なかった話、「死者に鞭打つ」と言う言葉が、楚に憎しみを持って呉に身を寄せていた伍子胥(ごししょ)が既に復讐を果たしたのに10年前に世を去った楚の平王の墓を荒らし平王の屍に鞭打ったというところから来たことや、「臥薪嘗胆」が越に負けた呉王が後継者の夫差に仇を取ることを託し、夫差が薪の上に伏して屈辱を思い出し(これは「史記」に記述がなく「十八史略」にある)その後夫差は越と戦い越王の勾践を破ったが、敗れた勾践は夫差の下僕となり仕え、苦い肝を嘗め屈辱を忘れなかった。この二つのことから「臥薪嘗胆」が生まれたということなど、たぶん学生の時に習っているだろうけどそんな元となった話など全然覚えておらず、結構今更ながらためになりました。劉邦の妻の呂氏が中国三大悪女に数えられる悪女であると言うのも初めて知り(他に唐代の武則天、清代の西太后)ドラマでは描かれてなかったのでドラマの先を知った気になり面白く読みました。


知識ゼロからの史記入門

知識ゼロからの史記入門

  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2011/01/01
  • メディア: 単行本

史記の入門編。わかりやすかった。殷の紂王と妲己の狂宴、周の西伯昌と息子の姫発と太公望の出会い、周が殷を滅ぼしたこと。斉の桓公と宰相の管仲、宋の襄公(無用の情けをかけて戦に負け死去してしまった襄公の話から「宋襄の仁」という故事が生まれる)、晋の文公=重耳(19年も亡命生活、放浪したのち王につく)、秦の穆公(自国民を大切にし他国民まで気にかけ大いに人望を集める)、楚の荘王(即位後3年間放蕩三昧し、臣下の助言により政務に励みだす)、楚の伍子胥(ごししょ)(呉へ亡命し「死者に鞭打つ」)、兵法書「孫子」を書いた孫武(呉王が寵愛する2人の姫を軍の隊長にして、命令を聞かない寵姫を斬り殺し命令に従わせた)、呉越の戦い(越の奇襲作戦=死刑が確定してる罪人が敵陣の前で自刎=越王勾践の軍師、范蠡(はんれい)の策)(夫差と勾践の二人はどちらも雪辱をはらすために苦行をしいた=臥薪嘗胆)(夫差=呉王が勝利していたがその後形勢が逆転し越が勝利する)そして韓、魏、趙、斉、燕、楚、秦が並び戦国時代に突入。

兵法家の呉起の仕官(生涯君主探しに明け暮れた)、商鞅(しょうえい)(秦の礎を築いた法家)、孫臏(そんびん)と龐涓(ほうけん)(同門出の因縁対決、兵法家同士の頭脳戦)、蘇秦の合従策と張儀の連衡策、趙の武霊王(伝統的な中原の服を廃止、戦いやすい胡服を採用)、燕の昭王が楽穀を登用(大将軍となり燕、趙、楚、魏、韓の5か国同盟を成功させる)、田単は「火牛の計」=牛の尾に葦の束を結い火をつけて燕軍陣地に放つ、を使い斉の息を再び吹き返らせる。趙の知恵者、藺相如(りんそうじょ)(藺相如と廉頗(れんぱ)の間で交わされた「あなたのためならたとえ頸を刎ねられても悔いはない」と言う言葉から「刎頸の交わり」の言葉が生まれる)、秦の白起将軍と趙の趙括が戦う(趙は崩壊寸前。白起将軍は血にまみれた生涯を送り生涯殺した人数は項羽を上回る)、秦にいた范雎(はんしょ)(スパイ容疑を掛けられるも、後に信頼され宰相に上り詰める)、秦の昭襄王に招かれた斉の孟嘗君(もうしょうくん)=四君子の一人(王の心変わりで幽閉され、盗みの達人や物まね名人に助けられ出国する。「鶏鳴狗盗」=秦の関所が一番鶏が鳴かないと開門しないところ物まね名人が鳴き声も真似て開門させた。この話が元になる故事)、四君子唯一の平民出宰相の春申君(李園の妹で妻が妊娠し王にあてがうようそそのかす。企てが漏れるのを懸念した李園に殺害される)、四君子の三人目の平原君(清廉潔白で「濁世の佳公子」と呼ばれる)、四君子の四人目の信陵君(劉邦も心酔した謙虚な人格者)

秦の始皇帝、項羽と劉邦の時代は馴染みのことが書いてあり今までの復習みたいな感じで読めました。武帝の時代になり少数で戦った李陵が投降し李陵を庇うと司馬遷は投獄され宮刑となることも書かれてました。司馬遼太郎のペンネームは司馬遷から取ったものと言うこぼれ話も載ってました。「司馬遷にははるかおよばないが、歴史の語り手たる日本男子がここにあり」の意味を込めていると言う。なるほど~。


横山光輝の『史記』で学ぶ故事成語 (小学館文庫)

横山光輝の『史記』で学ぶ故事成語 (小学館文庫)

  • 作者: 横山光輝
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2016/07/22
  • メディア: Kindle版
横山光輝のマンガ。司馬遷の人生も描かれ、「史記」に出てくる故事成語を描いてる。臥薪嘗胆、鶏鳴狗盗、完璧、奇貨居くべし(きかおくべし)、千金、焚書坑儒、背水の陣、四面楚歌、抜山蓋世。この本で初めて目にしたものだけ簡単に記しておくことにします。「完璧」は卞和(べんか)が趙の3代の王に自分が見つけた璧(円盤状の玉器)を見せに行ったところ2代の王に渡り「ただの石ころだ」と言われ片足ずつ足を切られてしまったが、最後の王がこれを璧と認め趙の国宝としていたところ、秦王が15の城と趙のこの璧を交換してほしいと申し出て、その交渉に藺相如(りんそうじょ)があたることになり秦王が約束を守るなら璧を置いてきて約束を破るなら璧は持って帰ることにしました。「璧を完うして(まっとう)して帰らん」から来ている。
「奇貨居くべし」は秦の呂不韋が趙に人質になっていた秦の王子の子楚を孝文王の夫人の養子にするよう計らい、子楚は後荘襄王となり、自分は秦の丞相となる。このように珍しい品は先に買っておけば後から大きな利益になると言う言葉。得難い機会を逃さず利用しなければならない意。
「千金」は呂不韋が学者たちを3千人集め天地、万物、古今の出来事を書物「呂氏春秋」にまとめさせ、自分の功績を世に知らしめるため御触書にこの書を読んで一字でも増やしたり削ったりできたものには千金=一万両を与えるとした。一攫千金の千金はここから来ている。
「抜山蓋世」は山を抜き取るほどの力と世をおおいつくすほどの気力があることで、項羽が最後の戦となった時に虞美人を前に読んだ詩から来てる。「力は山を抜き 気は世を覆う 時 利あらず 騅(すい)ゆかずして いかんとすべき 虞や 虞や なんじ いかんせん」から。騅は愛馬の烏騅のこと。虞は虞美人のこと。「史記」の故事成語はまだあるかもしれませんが、主要なものは理解できたので良かったです。

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項羽と劉邦~司馬遼太郎著  [本]

司馬遼太郎の「項羽と劉邦」を読みました。

項羽と劉邦 上巻

項羽と劉邦 上巻

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2024/01/25
  • メディア: 単行本
項羽と劉邦 中巻

項羽と劉邦 中巻

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2024/01/25
  • メディア: 単行本
項羽と劉邦 下巻

項羽と劉邦 下巻

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2024/01/25
  • メディア: 単行本

横山光輝のマンガ「項羽と劉邦」を読み終わってから、中国ドラマ「項羽と劉邦」を並走して観ながら読みました。司馬遼太郎を読むのは初めてでしたが、たくさん出てくる人たちの心情描写をしながらストーリー展開させ、その上時々わかりやすいように司馬遼太郎が説明してくれる文章が入っていて、この書き方もなかなかいいなあと思いました。マンガで大体のストーリー展開を頭に入れていたため、知らない人物の名前が出てきてもそれほど混乱せずに読めました。メインの人の名前さえわかれば大丈夫という感じ。「三国志」のようにマンガ、ドラマ、小説がそれぞれを補い合い、「項羽と劉邦」も同様どんどん肉付けされてよりよくわかっていくのが楽しかったです。

劉邦の邦の字はもともと「にいちゃん」時に「ねえちゃん」という意味で、劉兄哥(りゅうあにい)という意味であり、邦が名前というわけでないらしい。また劉伯の伯も「長男」という意味で、劉仲の仲も「次男」という意味なので、それぞれ劉の長男、次男と言っているにすぎないと言う。項梁には妻がいずにあちこちに女がいて後々甥の項羽が天下を取った時に自分の妻の一族が口出ししてくるのを恐れて結婚していないという事情も面白かった。劉邦が極力人殺しを避けできれば降伏させて自分の部下にして一方、項羽は人を殺し残忍なことは描かれていたけれど、20万人の兵を抗した(あなうめした)というのが何度も出てきて改めて何と残忍なと思ってしまった。

樊噲(はんかい)が狗の屠殺主であることや、劉邦の嫂が意地悪だったため劉邦が嫌っていて他の親戚たちには皆何かしらの位をあげていたのに嫂の子供たち(劉邦にとっての甥や姪)は黙殺し侯などの位も与えなかったというのも面白かった。マンガでもドラマでもあまり描かれてなかった気がする。劉邦の妻の呂雉に嫂が意地悪していたのはドラマでもたくさん描かれてはいたが。ここまでが上巻。

張良、酈食其(れきいき)の活躍、鴻門の会で項羽と劉邦が義兄弟の契りを結んだにも拘らず、劉邦は范増の策で殺されかかりそれを張良と樊噲によって助けられ、項羽から劉邦は巴蜀漢王に封ぜられる。簫何の計らいで儀式を行い韓信は劉邦から大将に任じられ、強かった秦の章邯(しょうかん)は韓信によって殺された。章邯の活躍はドラマの方が格好良くたくさん描かれていた。宮廷では既に超高が胡亥を殺し超高は子嬰に殺される。宦官である超高が天下をわがものとするために胡亥を閉じ込め全く政をから遠ざけようとする様も、ドラマではもっと詳しく描かれていた。夏侯嬰が馬好きで馬を育てる李三のところに通っていた時に李三が亡くなりその娘と結婚するエピソードは初めて知った。陳平が項羽の部下たちが項羽の知らないところで劉邦と通じているように策を練り、項羽に猜疑心を芽生えさせる策で亜父と呼ばれていた范増が追いやられ、帰省途中で亡くなってしまうあたりから項羽がいくら優勢な立場にあったとしても雲行きがおかしくなってくる感じだった。滎陽城から劉邦を逃がすために紀信が劉邦の替え玉となり、城を守った周苛と共に殺された。ここまでが中巻。

下巻は韓信が大活躍。李左車を師夫と呼び意見を求め、陳余を殺し張耳に趙王になってもらう。酈食其(れきいき)が斉王と田横に会いに行き煮られ亡くなり、その後韓信が斉を取り蒯通(かいとう)の案で仮の斉王を劉邦に認めてもらうようにしたが、劉邦は正式な斉王として韓信を認めた。韓信のところに楚の項羽の部下の武渉やって来ると、韓信はその意思が全くなかったのにも拘らず謀反の恐れありと劉邦に殺される。何でも劉邦の妻の一族呂氏の策略だという。韓信のブレーンでもあった蒯通は殺されるギリギリのところで劉邦にたくさんのことを喋って許され命拾いする。項羽のほうは梁を平定し虞姫と出会い、韓信によって四面楚歌により楚軍は追い詰められ、虞姫は自害し項羽も亡くなる。5つに分けられたその項羽の遺体の一部を持ち帰った部下たちは劉邦に褒美をもらう。その描写も生生しいけれど、もっとショッキングだったのが彭越が梁王になり謀反の疑いで殺された時、その遺体は塩漬けにされ諸侯に送り届けられたと言う。食人習俗(カニバリズム)があったという。また劉邦が敵に追われて必死に逃げていた時、一緒に連れていた子供を車から放ったらしい。しかも何度も何度も。子供の命より親の命が大切という思想があるらしい。こういった事柄は本に書かれていることから知ったことだった。また司馬遷の「史記」は「項羽と劉邦」が亡くなって半世紀ほどしてから司馬遷がリサーチして書いているものらしく、きっと項羽や劉邦のことを知っている周りの生き残りの人たちから生に聞いたことを書いていると言っているのも面白いと思いました。最後に項羽が亡くなったのがわずか31歳で、日本では弥生時代の頃だったというのも面白い発見でした。吉川英治の「三国志」で曹芳と司馬懿と卑弥呼が同じ時代と知った時と同様の衝撃を受けました。

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書くことの不純 [本]

最近読んでた本です。

書くことの不純 (単行本)

書くことの不純 (単行本)

  • 作者: 角幡 唯介
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2024/01/22
  • メディア: 単行本

角幡唯介の本。探検する人は普通書くことを前提にしていないけれど、書くことが職業となった自分は、書き手の自分が探検する自分に探検中にちょっかいを出してきて、探検の中でこうしたほうがもっと面白いものになるのはないかと考え始める。書くことが探検する行為にとって不純だ、と言っている。

沢木耕太郎の「深夜特急」のことを角幡が沢木と対談した時質問したらしい。沢木は作品にする意図はなく日記もつけていず後からメモを頼りに書いたと言っていたが、角幡は作家である以上いつか書けるかもという意識が全く働かなかったはずがないと言う。夢枕莫の「神々の山嶺」の例を出し本当にやりたい登山をする羽生=内在的行為に生きる羽生と、世間的な目を気にして生きる深町=関係的に生きる深町を引き合いに出す。また芸術的な冒険ということでクルティカの名前を挙げている。到達を優先させる旅なのか、狩りや釣りを通じ大地そのものと結びつく旅なのか。角幡も後者を自らの旅に選んでいる。

三島由紀夫の「金閣寺」にも触れ「はみ出し理論」を展開。本筋系の登山家はエベレストや7大陸最高峰みたいなものに飛びつく登山家を胡散臭いと感じていて、それは山に対する不純さにあると言う。ただ純粋さを目指す登山は内なる衝動から発していて外の体系から次第にずれはみだす宿命を背負っている。金閣寺を焼いた溝口は自死するつもりだったのにそれを変更して生きることに決めたが、そのラストが小説からはみ出していると。三島の生き方にも触れ、肉体改造が「言葉ではその何かに絶対に届かない」=「実在の精髄」でこれは「死の余白」「自分の山」と同じで、どんなに山を極めてもその一歩手前までしかたどり着けず、たどり着くことができるのは遭難死したときだ、と角幡が言う。また開高健がベトナム戦争に加わった後釣り三昧に転じたが、角幡も狩りや釣りを自らすることで見えてきたものが違うという。登山者よりはるかに土地と一体化するということで、開高はわかっていたが三島はそれを言葉の上でしかわかっていなかったような気がするという。

猪瀬直樹の本に「奔馬ー豊饒の海第2巻」で飯沼に宇気比という占いの秘儀をさせなかったのは、三島の自死もスケジュールを練って実行させていたはずと指摘しており、三島の神輿論や肉体透明論も言葉の上での理解しかなかったのではと角幡は思う。行為するには必ず相手がありそこからの反応があり、こんなところに来るつもりはなかったのに…と、それこそが経験でそれが不足していたのではと言う。「何者かになったあとに何者でもなかった10代に戻るというのは理解しがたい」と。三島の死の直前に古林尚がインタビューしており、「30代、40代になってから無条件に10代の思想を信奉することは不自然で、その無理な姿勢が三島美学が観念の世界にのみ浮遊する。リアリズムと離れて情念にのみ固執せざるを得ない。現実乖離の傾向が(自死の)大きな要因」だとする。三島は夭折者の美に憧れたが、実際には既に45歳にもなっていた。2020年に三島の死後50年を記念し様々な企画が催され「もし三島が自死せず天寿を全うしノーベル文学賞でも獲っても50年後に果たしてこれほどの注目を浴びるだろうか?」と角幡は言う。

記者の「あなたの冒険は社会の役に立っていますか?」の質問からこの本が生まれたみたい。こうして多くの人に本を読まれているのだからもちろん役立っているよ、と私は言いたい。社会のためになることをしようという気持ちは立派だけれど、自分が何をしたいのか、自分の中から湧き上がってくるその気持ちからする何かは結果として人に影響を及ぼしている。その方が純粋でいい。その方がその人を生き生きと生きることに繋がる。生き生きと生きる人が多い社会であればその方が断然いい。私も海外ばかり行ってた時期に「何でそんなに旅行ばかりするのか?」とちょっと非難めいた感じで言われることが何回かあった。その質問は「なぜあなたは生きてるのですか?」と同じ質問だなあと思ったのを思い出す。海外を回っていれば「あなた一人で回ってて凄いわね」「旅は学びで素晴らしいもの」と旅することが絶賛されるのに。角幡は「…自分の思いが誰かに伝わり面白いねと言ってもらえたらこの反応に救われる。…人生が間違っていたなかったこと、正当であると認められてることの証になるからだ」と書いているが、自分の人生は間違っていなかったと感じることが私もつい最近あった。藤井風の「満ちていく」を聴き、その歌詞に涙し自分の人生を振り返る機会になりそれでそう思えた。「grace」を聴いた時も私が旅で学んだことをこの歌詞の中に見出し涙した。言葉の上のことだけでない経験による実感みたいなものが自分の中に確実にあるから。自分が本当にやりたいことをやっている人は皆誰もが素晴らしい。私は三島の「豊饒の海」が好きだし、沢木の「深夜特急」も好きだし、角幡の本のどれもが好き。角幡がチベットの冒険をした時点で縁を感じてたけど、三島や沢木を取り上げるとますます縁を感じる。

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項羽と劉邦12~四面楚歌 [本]

「項羽と劉邦12~四面楚歌」を読みました。

項羽と劉邦 12 (潮漫画文庫)

項羽と劉邦 12 (潮漫画文庫)

  • 作者: 横山 光輝
  • 出版社/メーカー: 潮出版社
  • 発売日: 2001/09/20
  • メディア: コミック

横山光輝のマンガ。

漢は彭越に楚の食糧貯蔵庫を焼き払わせたので、劉邦は楚に成皋(せいこう)城を取り囲まれても楚軍は食糧が尽きて3日のうちに退避するだろうと睨んでいたが見事その通りになった。韓信や英布がすぐに駆け付けてこないことに劉邦が不平を漏らすと、張良は恩賞が足りないと指摘される。そこで劉邦は韓信を三斉王に、英布を淮南王に、彭越を魏王豹の後釜として大梁王(梁は魏の異称)として認め独立王国とした。その知らせを張良は3将に知らせに行き、成皋に来てもらうように話して回った。そして成皋に3将軍が兵を連れて集まると実に兵は120万にも膨れ上がっていた。韓信に全軍の指揮を任せ、簫何には兵糧手配を任せた。劉邦は兵士たちに兵糧は劉邦が責任を取り、戦士病死した者は恩賞を取らせ、残された家族には厚い手当をし、後継者がいれば戦没者の官職をそのまま相続させると約束。兵士たちは喜び兵士たちの士気は上がった。

項羽は舒六(じょろく)にいる周殷に高飛車な檄文を送るが国内の盗賊討伐を優先しすぐには駆けつけられないとの返事を周殷はしたため項羽は激怒する。また会稽(浙江省)の太守、呉丹にも檄文を送ると呉丹は10日で駆け付けると言う。呉丹の兵、近隣の若者たちを兵士に募集して全部合わせても楚の兵士の数は漢の兵士の数の半分にも満たなかった。

韓信は項羽と戦い勝つためには九里山の南にある垓下(がいか)である必要があると説く。どのように項羽を垓下までおびき寄せるのがいいのか、そばにいる元趙の知恵袋である李左車に尋ねると、李左車は「埋伏の毒」がいいという。それは偽って楚に投降し項羽に近づき、言葉巧みに出陣をそそのかすことで、李左車自らがその役目を担うと言う。早速李左車は楚の項伯のところへ出向き、項伯は何か釈然としないながらも許可し李左車は項羽のそばで仕えることになった。そして漢軍は出発。彭城近郊に陣を張った。

その頃韓信は沛県の楼に「項王の頭を斬る」といった内容の文を掲げさせた。項羽はそれを知り益々出陣したいところだったが、これは韓信の策で当分籠城するのが一番と部下に言われる。しかし翌日会議を開き、李左車に攻撃するのがよろしいと言われるとすっかりその気になり出陣を決める。出陣時に城の旗が折れ不吉なので出陣を取りやめたほうがいいと言い出すものも出て、虞姫にまで止められ心揺れた項羽だったが、李左車の漢軍の兵糧が底をつき始め韓信が退去の準備をしていると言う偽の情報を伝えることで、項羽は出陣した。その間別の部下たちが漢軍を探りに行き兵糧が十分あることが知れ、李左車を呼び出すも既に彼は逃げた後だった。項羽は騙されたことにショックを受け虞姫に慰めてもらった。そしてまた項羽は戦うことにした。漢の兵糧さえ尽きれば勝利はこちらのものだと考えたからだ。まさか自分の方が兵糧が尽きて敗れるとも知らず。

韓信の作戦はこうだ。漢王自ら先に囮になってもらいその後李左車が出て漢王からバトンタッチ。悪口を言いながら項羽を垓下まで引っ張ると言うものだった。樊噌(はんかい)の目の良さと決断力の速さを買い、九里山から全軍の指示を出す重要な役を韓信は樊噌に与えた。そして漢楚は激突。漢軍の策通りに戦が進み楚軍は50万の兵士が5万の兵士になってしまった。項羽は彭越に戻り兵を整えたかったが彭越には既に漢の旗が翻っていた。項羽は漢の手薄な江東へ向かい、漢の本陣が埋伏していることを知らず漢の真ん中に陣を張る。四方八方から来る漢軍の60余りの将軍と朝から晩まで戦う項羽。項羽の強さは格別で、漢の想像を超えていた。

そこで張良は楚軍の兵士たちの望郷の念を駆り立てるため、漢の兵士たちに楚の歌を練習させ10日で覚えさせた。四方から聞こえてくる楚歌に涙する楚の兵士たち。漢が楚を占領して投降した楚兵が歌っていると思い込み、楚兵の9割は逃げ出した。兵士たちが逃げ項伯も漢の陣へ、鐘離昧も李布も雑兵と共に逃げたので項羽に残った兵は800人ほどになった。孤立し八方塞がりで困った状況に追いやられるこの「四面楚歌」はここから来ている。

項羽は虞姫を連れて行くのを止めようと虞姫に話すと、足手まといになるならここで命を落とすと言い虞姫は自害した(これは有名な京劇の「覇王別姫」に描かれた)その後を追って弟の虞子期も死ぬ。二人を埋葬すると虞姫(虞美人)の墓からひなげしの花が一輪咲き、人々は虞美人草と呼んだ。

項羽は強行突破で300人の兵を失い、楚軍の攻撃を受けその後400人の兵を失い逃避行を続けるが、項羽に恨みを持っていた農夫が間違った道をわざと教え、項羽は漢軍の待ち伏せにあう。それでも楚軍から逃れ荒れた寺で一夜を過ごすと夢を見た。日輪が落下し青い服の少年が東から赤い服の少年が西から来て赤い服の少年が青い服の少年を倒し日輪を掲げて持ち帰る夢だった。これは秦の始皇帝が昼寝をしてみた夢と同じものだった。項羽は72発赤い服の少年が殴られながら最後は日輪を手にしたのを、劉邦の体のほくろが72個あったことを思い出し、これは天啓であがいても逃れらない運命なのだと観念した。残る楚軍はわずか28人。楚の28騎は窮鼠猫を嚙むのごとく漢軍に囲まれても尚激しく戦うが、その後烏江で舟に乗ることを拒否し、武将らしく最後まで戦場で戦うことを決意。村人に愛馬烏䮔(うすい)をあげると烏䮔は項羽のところに戻ろうと舟から水の中に落ち亡くなってしまった。虞姫も亡くなり愛馬烏䮔も亡くなった今、項羽は自害する。24歳で挙兵し8年戦い31歳の生涯だった。この垓下の戦いで項羽が死に劉邦が勝利し楚漢戦争が終わった。漢軍の兵は恩賞欲しさに数十人が争い亡くなった。項羽の5体を斬り残りは胴体だけがその場に残った。劉邦は皇帝に即位し2年後長安に都を開いた。

有名な「四面楚歌」、京劇の「覇王別姫」、虞美人草の由来など知れて良かった。始皇帝の命令で不老不死の薬を求めた徐福の痕跡が日本に残っていることも面白いと思った。項羽は戦に強かったけれど、最後に笑ったのは能力さえあれば幅広くどんな身分も問わない、しかも敵の降下もすぐに認める劉邦だった。劉邦は中年まで遊び人であまりパッとしなかったけれど人から好かれる性格でもあり、多くの優れた軍師たちを抱えることができたのが良かったのだと思う。この「項羽と劉邦」は他にも小説やドラマにもなってるので今度はそちらにトライしたい。

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