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「神われらと共に」 [精神世界]

私ははるかぜさんのブログ読者なのですが(はるかぜさん、いつもためになる話をありがとうございます)、クリスマスらしい記事がレーガン元大統領が引用したということではるかぜさんの記事にアップされていたので、私はもともとの詩、アデマール・デ・パロスというブラジルの詩人の「神われらと共に」をアップしたいと思います。

 

「神われらと共に」(別名:「浜辺の足跡」)アデマール・デ・パロス

夢を見た、クリスマスの夜。

浜辺を歩いていた、主と並んで。

砂の上に二人の足が、二人の足跡を残していった。

私のそれと、主のそれと。

ふと思った、夢のなかでのことだ。

この一足一足は、私の生涯の一日一日を示していると。

立ち止まって、後ろを振り返った。

足跡は、ずっと遠くに見えなくなるところまで続いている。

ところが、一つのことに気づいた。

ところどころ、二人の足跡でなく、

一人の足跡しかないのに。

私の生涯が走馬灯のように思い出された。

なんという驚き、一人の足跡しかないところは、

生涯で一番暗かった日とぴったり合う。

苦悶の日、

悪を望んだ日、

利己主義の日、

不機嫌の日、

試練の日、

やりきれない日、

自分にやりきれなくなった日。

そこで、主のほうに向き直って、

あえて文句を言った。

「あなたは、日々私たちとともにいると約束されたではありませんか。

なぜ約束を守ってくださらなかったのか。

どうして、人生の危機にあった私を一人で放っておかれたのか、

まさにあなたの存在が必要だったときに」

ところが、主は私に答えて言われた。

「友よ、砂の上に一人の足跡しか見えない日、

それは私がきみをおぶって歩いた日なのだよ」


もうひとつ、クリスマスイブなのでイタリアのアッシジの聖人フランチェスコの「平和を祈る祈り」を紹介します。(たくさんの祈りがある中、この祈りは特に有名でダイアナ元王妃の葬儀にもこの祈りが選ばれ使われたそうです)

 

「平和を祈る祈り」聖フランチェスコ

私をあなたの平和の道具としてお使い下さい。

憎しみのあるところに愛を、

いさかいのあるところにゆるしを、

分裂あるところに一致を、疑惑あるところに信仰を、

誤っているところに真理を、絶望あるところに希望を、

闇に光を、悲しみのあるところに喜びを、

もたらすものとしてください。

慰められるよりは慰めることを、

理解されるよりは理解することを、

愛されるよりは愛することを、私が求めますように。

なぜなら私が受けるのは与えることにおいてであり、

許されるのは許すことにおいてであり、

我々が永遠の命に生まれるのは死においてであるからです。


私はクリスチャンではないのですが、聖書の話も好きだし、遠藤周作氏や曽野綾子氏が書くいかにもクリスチャンらしいエッセイ集が好きです。

上の2つの詩は曽野綾子氏の本「現代に生きる聖書」に載せてあった詩でした。私は本の中に心に響く言葉を見つけると、すぐに日記に書き写す癖があり、はるかぜさんのブログを読んだとき、私の日記のどこかにこの詩を書きだしてるなあと思い、探し出しました。意外と簡単に見つかりました。クリスマスにはこういう詩が何とも心に響きます。

また曽野綾子氏というと、コルベ神父の話(アウシュビッツで全くの赤の他人の代わりに自分の命を捧げた神父)を思い出します。どんな話より真実なだけに心を揺さぶられます。コルベ神父の話はたくさんの本が出ていますが、私が知ったのはやはり曽野綾子氏の本からだったのです。

現代に生きる聖書

現代に生きる聖書

  • 作者: 曽野 綾子
  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 2001/05
  • メディア: 単行本

 

コルベ神父物語

コルベ神父物語

  • 作者: 西島 伊三雄, 曽野 綾子
  • 出版社/メーカー: 聖母の騎士社
  • 発売日: 2000
  • メディア: 大型本

また聖書というとヨブ記(信仰深いヨブに次から次へと試練が襲います)も泣けました。こちらもたくさんの本が出てますがヨブ記があるということを初めて知ったのは遠藤周作氏の本ででした。でも遠藤氏のどの本だったのか記憶にないのですが泣けて泣けて仕方なかったことだけは記憶してます。

一足早く、Merry Christmas.


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はるかぜ

まさに素晴らしい!の一言です!私たち日本人は神と聞くと御利益の神様をイメージしてしまいますが、外国人の神は「創造主」「造物主」ということなので私たちを作った存在として見るのでしょうから、常に神と共に過ごす人生はより深いものとなるのでしょうね。
それにしても、すぐに書き写すという習慣は必要ですね。私も聖書のあの一節がどこだったのかもう忘れてしまっていますから。記憶があいまいになっています。トラックバックありがとうございました。
by はるかぜ (2006-12-25 09:58) 

naonao

書き写してるのは図書館で本を借りるようになってからのことで、手元に本がある場合はしていません。でも結局買って読んでも一度読んだら何度も読み返すこともなく本は捨ててしまっていたので、ここ10年位は専ら図書館で借り自分にとって響く言葉は書いてます。そのほうがいいみたいです。
by naonao (2006-12-25 21:23) 

おっとぉ

初めて読みましたが、素晴らしい詩ですね(私もクリスチャンではありませんが)。
先日、たまたま映画の『ナルニア国物語』を観ました。存分に楽しめたとは言いがたいんですが(自分の中に原作のイメージがあったので・・・)、主人公(?)のアスランはイエスの象徴だったのを思い出しました。たまたまだったんですが、クリスマス前にぴったりでしたね。
by おっとぉ (2006-12-26 02:06) 

こころん

この聖フランチェスコの詩は、本当に大好きな詩のひとつです。この心で生きられたらどんなに素晴らしい事でしょうね。
「浜辺の足跡」を始めて読んだ時も、涙があふれた事を覚えています。どんな事があろうとも神は常に私たちを見守って、そして許して下さっているんですね。「信じる」事は、私たち自身に委ねられているんですね。
by こころん (2006-12-26 16:12) 

naonao

>おっとぉさん、こんばんは。
本当にこの詩はクリスマスにぴったりの詩でした。
タイムリーにアップできてよかったです。

>こころんさん、こんばんは。
そうですね。いつ読んでもこの詩は泣けますね。段々年取ってきて余計に涙腺弱くなってるのですぐ泣けてしまいます。
時々読み返して、心を正したいと思います。
by naonao (2006-12-26 21:31) 

Zunko

こんにちは♪ この二つの詩(と、ヨハネの愛の賛歌ー新約聖書)は私も大好きな詩で、常に愛唱しています。特に人生で苦しい時を迎えた時。ただ、最初にご紹介されている詩がブラジル人の物とは知りませんでした。。本当に、常に神が自分と共に歩む(私も神、と使う時は自分よりももっと大きな存在ー宇宙、ユニーバース、呼び方は色々あると思います)、愛されるより愛する事を。。。心に染み入ります。ところで、うまく言ってれば、私がセントフランシスの詩を書いたブログをTBしました♪
by Zunko (2006-12-28 15:26) 

マユリィ

Dr.コパ・・・のコメントありがとうございます!

そうですね~2007年に、開運シール効果のほどを報告できたら、うれしいなぁ・・・信じるものは救われたいですね~^_^;

ところで、私もクリスチャンではないですが、学生時代に英文講読の科目で、1年がかりで、旧約聖書(ノアの箱舟など~)を苦労して訳し、学んだせいか、親しみはあります。
キリスト教とひと口にいっても、新訳聖書や、さまざまに奥深く、また、白人文化を理解するにしても、クリスチャンの精神を理解しないと、国際交流もむずかしいと思ったり・・・

クリスマスは、恵まれない貧しい人々や子供たちに愛を・・・という日だと思いますが、日本で、ボランティア精神が根づかないのも、そういうところなのかと思ったりします。 
そういった意味で、遠藤周作 氏の作品は、やさしさ、あたたかさを感じますね。 

日本のクリスマスは、商売が先行している風習なので、とっても変ですね~(・・;)
by マユリィ (2006-12-28 20:03) 

naonao

>Zunkoさん、こんばんは。
そうですね。神でも仏でも宇宙でも大自然でも呼び方は何でもOKですね。ブログTBお待ちしてまーす。

>マユリィさん、こんばんは。
そうですね。欧米のクリスマスは恵まれない人たちに対して贈り物などする日になってますよね。この精神的なものも日本にも伝わるといいと思います。
by naonao (2006-12-28 21:30) 

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