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仏映画「奇跡の朝」 [フランス映画]

飯田橋の日仏学院にて仏映画「奇跡の朝」を見てきました。

日仏学院には初めて行ったのですが、ちょっと隠れ屋みたいで、素敵でした。

中に入ると赤の色彩のカフェや本屋が中にあり、椅子なんかも水色や黄色の三角を使ったちょっと洒落たポップな感じにまとまっていて、その椅子がいいように無造作に置かれているようで、人の空間を考えうまく置かれてありました。トイレも銀色の壁紙に、水色系統のグラディエーションのかかった色合いの丸いドットが細かくあって、床は紫、洗面は白で透明な緑の丸い洗面台で、水道も前後に操作するタイプのものでした。いくつかの教室もざっと見た感じ、白でまとめられ、何だかお洒落。外には程よい大きさの庭があり、私が行ったときにはこれからOxfamの寄付金集めのイベントがあるようで外人がたくさん集まってました。

さて、ここのホールで見たのは「奇跡の朝」

今年の春にあったフランス映画祭でも出品されていたようですが、私はそのときには「その日のうちに」を見たのですが(こちらはコメディタッチで楽しかった)、この「奇跡の朝」の作品は全く記憶になかったです。

この映画は一言で言ったら、奇妙な映画でした。

ある日突然死んだ人がぞろぞろと町に戻ってくるのですから。

ただ戻ってきた人は生前のままでなく、表現力が劣ってたり、不眠症だったり、常人より低温だったりし、三組の人たちのその蘇りの人たちとの生活を三組三様で描いていきます。

これを見たとき私はソフィアローレンの「ひまわり」を思い出しました。戦場に行って戻ってこない夫を散々待ったあげく、第二の人生をはじめた途端、元の夫が戻ってくる、みたいな違和感が同じものだったからです。映画の中の三組はそれぞれに表面上では新しい伴侶を持ったり、新しい家族を迎えたりしていず、蘇った人たちをすぐに迎え入れられそうなのですが、やはりそうは簡単に気持ちの整理がつきません。混乱するわけです。

そして皮肉なことにその蘇りの人たちを受け入れられそうになったときには、もうその蘇りの人たちはまた闇夜の世界に旅立つのです。

人の蘇りというと、昔読んだチベット関連の本を思い出します。残念ながら題名は忘れましたが西洋人が書いた赤と黒の混ざった表紙のハードカバーで、林さんというよく精神世界の本を訳してる方が訳されてるものです。チベットの蘇りの世界を扱った本でした。フィクションだかノンフィクションなのかわからないくらい迫った書き方をしてるので、読んだ直後は蘇った人の住む世界が本当にチベットに存在するのではないかと錯覚してしまうほどの作品でした。(誰か題名覚えてたら教えて欲しいです)

基本的に私は輪廻転生を信じてるので、その立場その体を借りてその人生に一度登場し亡くなったら、蘇ったりするのはイヤですね。所詮この体も、その立場も、ここにあるということもかりそめで借り物ですから。「人の体は洋服のようなもので、汚れてしまったら着替えて新しいものを着るように、死によって人も体を交換する」みたいなことをダライラマ法王が言っておられますが、私も同感で本当は死も決して悪くないと思ってます。二度も三度も蘇るのはイヤですね。どうせ生きるのならやはりまた違った新しい体着て、違った環境で生きてみたほうが楽しいのではないのかなあと思います。そう考えられるようになると、今死にたくはないけれど、死自体は決して恐ろしくなくなってます。

むしろ精神世界のみになったあの世の世界のほうが、肉体のあるこの世の世界より楽なんじゃないかと思ってるので、あの世に召されてるのも楽しみです。スエーデン・ボルグや丹波哲郎なんかがあの世の世界を書いてますが、まだ行ったことのない世界をむやみに恐れても仕方ないです。

愛する人を亡くすショックは大変なものですが(私も学生のとき母を亡くしてます)、いずれはまたどこかで会えると信じてるので、生もあり死もありちょうどいいです。ずっと生きてる、ずっと同じ状態が続くなんてことは、やはり考えられませんね。こっちからお断りです。

この映画は生と死を考えるにはいい映画だと思います。

 ( 追記: チベット関連の本とは、後で自分で調べたら「チベット永遠の書~宇宙より遥かに深く<シャンバラ>極限の恐怖の果てに」Tイリオン著、林陽訳、徳間書店でした 2006.9.21)


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