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法事 [精神世界]

先日(母方の方の)祖母の49日の法要があり、親戚一同が集まりました。
父と私は、弟と寺のある神奈川県の寒川駅で少し早めに待ち合わせをしたのですが、その駅に到着しない前に、偶然にも海老名駅での乗り換え時に、弟にホームで会い、びっくりしました。
寒川に行くまでには私の家からも弟の家からも行きかたはたくさんあり、乗り換えの少なく時間がかかるほうが良いか、乗り換えはあるけど時間がかからないほうがいいか、あるいは電車賃のこともあり、選択肢は5つくらいありましたが、私も弟もそれぞれの行きかたを選び、うまく会えたのです。帰りは別のルートでそれぞれ戻ったのですが、あまりにもうまく早めに会え、何だか祖母がうまい具合に会わせてくれ、一緒に来るようにしてくれたのではないか!?と思ってしまうほどでした。

またこれの上を行くことを去年経験しました。
その祖母の長男(つまり私にとっては叔父)が入院し、神奈川県の伊勢原市までお見舞いに行ったのですが、何も約束してないのに、同じようにお見舞いに行く祖母の次男夫婦(私にとっての叔父叔母夫婦)とばったり電車の中で会い、一緒に行くことになりました。それだけでもすごいのに、伊勢原の駅に着いてからもうお昼も近かったので軽く食事をして、そこから目指す病院までのバスに乗り込み出発を待っていると、今度は入院してる叔父の奥さんと子供(私にとっての叔母さんといとこ)が後からそのバスに乗り込んできたのです。もちろん入院してる叔父のところに行くところでした。
叔父の病院に着く前までに、親戚三軒があっという間に、しかも何の約束もしないのに一緒になってしまったことが、何とも驚きでした。
このときもきっと先祖がうまく会わせてくれてるんじゃないの!?という話になりました。

また法事で会った弟が話してくれたのですが、弟がたまたま学生時代の親友に街でばったり会い、時間もお互いあったので、その日一緒に食事することにしたのですが、どこの店がいいかと少し歩いたら、弟が世話になった人が働いている店の系列店を偶然見つけて懐かしくなり、ひょいとその店に入ったというのです。そしてそこで食べながら、その世話になった人のことを店が違うけれど思い切って店の人に聞いてみたら、「(世話になったその人は)末期がんで今は自宅療養してる」という現実を弟は聞かされることになりました。
弟は翌日すぐにその世話になった方の家を訪れ見舞ってきたらしいのですが、もう先がなく黄疸も出て大変な状態だった、とのことでした。でも少なくともまだ意識もしっかりして話もできる状態で、しかしながら今が面会できるラストチャンスになるやもしれぬ、そういうときだったと思う、と弟が言ってました。
たまたま学生時代の親友に会い、食事をするのに店を探し、ふと世話になった人の店の系列店を見つけそこに入り、そして店の人にその人の消息を聞いたらこんな結果だったのですが、この話を聞いて、必要なときには必要な人に会えるのだなあと、この世の仕組みに思わず感謝したくなるような気持ちになりました。

日々の生活の中でこういう出来事が起こると、何か大きな存在みたいなものを感じてしまいます。
そしてとても嬉しくなります。日々の生活にサーッと光が差し込む、そんな感じがします。
カオス状態に思えるこの世の中も、意外とシンプルで、物事は成るようになっている、そんな風に思えた事柄でした。


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はるかぜ

葛飾北斎の龍虎の陰陽のバランスからインスピレーションを受け記事にさせていただきました。ありがとうございました。不思議です。当初私のブログにはコメントを設けてなく、naonaoさんがご自身のブログに私向けのコメントを寄せて下さったことが、私の今のブログ人生につながっています。あれがなかったら未だにコメント欄のない一方的なブログになっていたかもしれません。感謝しております。
弟さんもさまざまな偶然の中で勇気を出して聞いてみたのも始まりですものね。勇気は言う氣というのも聞いたことがあります。やはり偶然はないのですね。世の中意外とシンプル、成るようにになっている。なんだか心の中のダムが開放されてスッとするお言葉です!ありがとうございます。
by はるかぜ (2006-11-07 09:41) 

naonao

はるかぜさんのお陰で、私はまた精神世界の話に浸かることができるようになり、はるかぜさんのブログは勿論ですが、ぐるぐるさんの笑えるブログやそこから先ごろぐるぐるさんと結婚したよっつさんのブログなど、いろいろ繋がって楽しいです。
ただ私がコメントしなくても、はるかぜさんのブログはいつかはコメント欄が設けられるようになったと思います。私でない誰かが私の役割を果たしたでしょうし、きっと必要なことは必ずなされるものですから。それが早いか遅いかの違いだけだと思います。また何よりはるかぜさんの潜在意識にそういうもの(本当はコメント欄を設けたいという意識)があり、私を呼んでそう書かせたとも言えると思いますが。
by naonao (2006-11-07 21:47) 

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