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生きるよすがとしての神話・千の顔をもつ英雄 [本]

今月に入って読んでいた本です。

生きるよすがとしての神話 (キャンベル選集)

生きるよすがとしての神話 (キャンベル選集)

  • 作者: ジョーゼフ キャンベル
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1996/10
  • メディア: 単行本

ジョージ・ルーカスがジョーゼフ・キャンベルの本に影響されて「スターウォーズ」を作ったと言われ、またいつも読んでる角幡唯介のブログでジェーゼフ・キャンベルの「千の顔を持つ英雄」の新訳が出たとのことでとても喜んでいる記事があったので、そう言えば精神世界の本を読んでいた時によくジョーゼフ・キャンベルの言葉を引用してるものがあったなあと思い出し、読んでみようと思いました。最初に読んだのはこの本。これは彼が講演で話したものをまとめたものです。

イーリアス、プラトン、ウパニシャッド、ブッダ、ショーペンハウワー、トーマス・マン、サルトル、フロイト、T.Sエリオット、聖書、コーラン、ホメロス、ユング、ダンテ、チベット死者の書、ジャイナ教、カント、バガヴィッド・ギーター、アイヌ族などなど、幅広い知識のたくさんの話が飛び出します。なるほど、と思ったものを記しておきます。

「神話の英雄、シャーマン、神秘主義者、精神分裂病患者の内面世界への旅が原則として同じもので、…自我が二度の誕生を迎えると…新たな自我は自然や社会と調和し安らぐ。人生が以前より豊かで楽しいものとなる」

「処女降誕、神の顕現、死と復活、再臨、最後の審判などの神話伝説はあらゆる偉大な伝説的文化の中に見られる」

「人間生活には生命を支える幻想がどうしても必要だった。…幻想がすべて払拭されたらすがりつく基盤がなくなる…伝統神話に基づくタブーの数々が現代科学により無価値とみなされて以来、悪徳、犯罪、精神障害、自殺、麻薬依存、家庭崩壊、少年非行、暴力、殺人…が広がる」

「社会にとって儀式が重要。形式が重要」

「義理を果たす」

「踊りの意味を問わず踊りを楽しむこと。世界の意味を問わず世界を楽しむこと。あなた自身にどんな意味があるかを問わず自分自身を楽しむこと」

私はいろんな物語を知ることが好きです。だから映画やドラマを観たり、本を読んだりするのを止められないわけですが、それはキャンベルに言わせれば『生命を支える幻想』であり、それが『人間生活を支えてくれている』わけです。確かに生きるにあたっていろんな物語を知ることがその支えになっているかもしれません。

千の顔をもつ英雄〔新訳版〕上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

千の顔をもつ英雄〔新訳版〕上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

  • 作者: ジョーゼフ・キャンベル
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2015/12/18
  • メディア: 文庫

千の顔をもつ英雄〔新訳版〕下 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

千の顔をもつ英雄〔新訳版〕下 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

  • 作者: ジョーゼフ・キャンベル
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2015/12/18
  • メディア: 文庫
こちらが新訳となった「千の顔をもつ英雄」↑
この本を手に取ったジョージ・ルーカスが影響を受けて「スター・ウォーズ」を作ったと言われています。ダン・ブラウンの「ダヴィンチ・コード」しかり、ディズニー映画の「アラジン」「ライオン・キング」等々しかり。皆、キャンベルのこの本の影響無くして生まれていません。この本には、神話を調べた尽くしたキャンベルが英雄物語には「出立→イニシエーション→帰還」というパターンがあることを、たくさんの例で示しています。

以下、本からの抜粋↓。

『神話の英雄は、日常生活を送る小屋や城から旅立ち、誘拐されたり、さらわれたり、あるいは自発的に進んだりして、冒険の境界へと向かう。そしてそこで、境界を守っている影の存在と出会う。英雄はその力を打ち負かすかなだめるかし、それから生きたまま闇の王国に入るか(兄弟の戦い、龍との戦い、供物、呪文)、敵に殺され死の世界へと降りていくか(四肢解体や磔刑)する。境界を越えると、英雄はなじみがないのに不思議と親しみを覚える力の支配する世界を旅することになる。力の中には、厳しく彼を脅かす力もあれば(試練)、魔力で助けてくれる力もある(助力者)。神話的な円環の底にたどりついた英雄は、究極の試練を経験し、見返りを手に入れる。その勝利は、英雄の母なる女神との性的結合(聖婚)や、父なる創造主からの承認(父との和解)、あるいは英雄自身が聖なる存在になる(神格化)という形で描かれる。その力が依然として英雄に好意的でない場合、褒美を盗みだすことによって手に入れる(花嫁の略奪、火の盗取)こともある。本質的に、それは意識の、と同時に、存在の拡張である(啓示、変容、自由)。最後は帰還に取り組むことになる。力に祝福されているなら、英雄はそれらに守られて帰途につく(使者)。そうでない場合、英雄は逃げ、追跡を受ける(変身による逃走、障害による逃走)。帰還途上の境界で。超自然的な力は英雄の背後にとどまるしかない。英雄は、恐怖の王国から再び姿を現す(帰還、復活)。英雄が持ち帰る恩恵は世界を復活させる(霊薬)』

『自己の本質と世界の本質~この二つは同じものである。どこを歩き回ろうが、何をしようが、英雄は常に自分自身の本質と直面する。…疎外感はまったく感じない。こうして社会参加が個の中の全てを知る方法であるのと同じく、放浪が英雄を万物の中の自己に導く。この中心点に立つと、利己と利他の問題は消滅する。自己を消滅した個人は、宇宙の意味と同化して再生されるのである…』

フロイト、トインビー、ダンテ、ブッダ、モーゼ、ラーマクリシュナ、ミラレパ、「オムマニペメフム」、ケツァルコアトル、ケルト族、マオリ族、イヌイット、古事記のイザナミとイザナギ、ウパニシャッド、千一夜物語、ナヴァホ族、アパッチ族、ニルヴァーナ…。少しは馴染みのある言葉が出てきても、ポーニー族、アランタ族、バズンブワ族、ワチャガ族、ズニ族、プリヤート族…と全く聞いたことのない部族の名もたくさん出てきて、知らない神話も山ほど出てきます。本当に古今東西の聞いたこともないお話がわんさと出てくるのです。でもすべてはこの英雄神話に繋がり、同じパターンで物語が紡がれているという例を示しているのです。

「ま~るく、一周して帰ってくることは、とってもいいことなんだよ」と旅をしていたときに言われたのを思い出すような、そんな本でした。古今東西の勇敢な英雄になれなくても、一人一人の人生こそが、何がしかの英雄の神話にも似たストーリーを孕んでいるのかもしれません。また売れている小説やヒットしている映画はこういったキャンベルがまとめた英雄神話のプロットを踏襲しているのでしょう。先日観た映画「千年医師物語」(原作が大ベストセラー)なんかはまさにこの英雄神話そのものでした。「西洋にあるものは東洋にもある」という言葉もありますが、キャンベルが調べ上げたこの英雄神話一つとっても、世界のあらゆる場所に同じようなパターンでお話があるというのが驚きです。まさにこの言葉を証明している感じがしました。

キャンベルのDVDもあるようなので、探して観てみようかなあとも思いました。


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naonao

>nice!をいただき、皆様ありがとうございます。
by naonao (2016-03-06 22:00) 

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