退屈ピカリ 裸の大地 第二部 犬橇事始 [本]
最近読んでた本です。
つれづれノート43冊目。いつもこのシリーズから癒しやものの考え方のヒントをもらってる私。宮崎での温泉、畑、執筆仕事、人との交流がマイペースでとってもいい。毎日のご飯のおかずの参考にもなる。時々子供が戻って来て、でも基本は一人で生活。彼女らしい生活スタイルがとっても素敵。自分で作った畑でなる野菜を食べてて結構理想の生活だなあと思う。
今回心に引っかかった言葉。「来るべきものは来る。求めているものは来ると言うこと。信じていればいいのだ。来るものが必要なもの」それとシルバーバーチの言葉~「宇宙はすみずみまで法則に支配されており、偶然とか奇蹟とかは絶対にありません」
角幡氏の冒険もの。チベット好きな私は「空白の5マイル チベット、世界最大のツァンポー峡谷に挑む」の本で角幡氏を知り、それ以来ずっと読み続けてる。最近はずっとデンマーク領グリーンランドからカナダ・ヌトプト準州エルズミア島のシオラパルクという場所で冒険。本に付いている地図には人力橇やカヌー、犬橇でこれまでたどったルートが書かれ、本には犬橇でお世話になった犬たちの写真まで載っていた。よりわかるように挿絵も少し。
犬たちをイヌイットから買い手なずける大変さや、犬の餌代が重くのしかかり犬に縛られる生活になること、犬橇の木の橇を直せたことで生きて戻れないかもしれないという不安感がなくなったこと、犬が自分を差し置いて進んでしまうことや、犬同士の関係性、犬の組み合わせ方の難しさ、エスキモー(カナダ先住民の言葉で「生肉を食べる者」の意味)という言葉が「一時期野蛮な人間に対する蔑称である」とされたが、それは誤解で「今は学術的にこのエスキモーが使われている」という。イヌイットは「人間」、エスキモーは「狩りと犬橇を伝統的手段により生き抜き旅してきたイヌイットの中のイヌイット」という意味合いで使っているのではないかと著者が分析。
「ドッグフードばかりでなく海豹の肉を犬にあげないとダメ」と地元の人に言われ海豹狩りを始めると、「海豹が必ず取れるという確信が海豹を獲って帰ればいいことに繋がり旅が続けられ」余裕ができるようになり、コロナになると予定の冒険ができなくなり、それでも予定変更すると麝香牛を仕留めることができ、「それは麝香牛を獲るための旅であった」と後から気づく。一番信頼の置いてるウヤミリックが腰ひもが食い込んで男性器が断裂しそれをマイナス35℃の世界で縫合したり、そのウヤミリックとウヤガンが預けている間に亡くなってショックを受け、その後老いてしまったウンマを飼い主の役目として絞めて始末し、彼の犬橇の大冒険は幕を下ろしました。人力橇の時には興味を示さなかったイヌイットが犬橇となると色々ちょっかいを出してきて、それは「彼らの文化伝統に敬意を示すメッセージとしてとらえられた」証なのではないかという…。
角幡氏のツイッターをフォローしているので犬橇の木の橇を作っていたり、ウヤミリックの写真を載せたりしてるのを見たりもしてました。今向こうに渡ったのだなあとか鳥を仕留めて食料に蓄えてたりとか…色々。でもこの犬橇にはもう終止符を打ったのだとこの本で初めて知りました。何事も終わるときがやってきます。角幡氏も年取っていくので色々考えなければいけないかと思いますが、冒険家として作家として今後はどのような方向に向かうのかこれからも楽しみです。
>nice!をいただき、皆様ありがとうございます。
by naonao (2023-07-25 17:41)