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大判三国志⑪馬超の逆襲 [本]

「大判三国志⑪馬超の逆襲」を読みました。

大判 三国志 11 (希望コミックス)

大判 三国志 11 (希望コミックス)

  • 作者: 横山 光輝
  • 出版社/メーカー: 潮出版社
  • 発売日: 2017/11/25
  • メディア: 大型本

横山光輝のマンガ。

呉から逃げてきた劉備とその妻(孫権の妹)はその後呉から追手が来るも孫権の妹はその追手を送り返し、諸葛亮が船で出迎えてくれる。魯粛は劉備の元を訪ね荊州を返してもらうようお願いするが、逆に諸葛亮に丸め込まれてしまう。その後柴桑にいる周瑜に会いに行き、策をもらってまた劉備に会いに行ったりもする。周瑜は蜀を攻めると称して荊州の通行許可を得るが、本心は荊州を獲るつもりでいた。周瑜が行くと荊州の城には白旗が掲げられ、趙雲が待ち構えていた。劉備、関羽、張飛も周瑜を取り囲む形となった。

周瑜は具合悪くなり36歳の若さで亡くなった。諸葛亮が亡くなる直前によこした手紙で全てお見通しであったことを知り、周瑜は嘆いた。諸葛亮は趙雲と500の兵を率いて周瑜を弔問する。その時諸葛亮は龐統と会う。龐統は呉に呼ばれて孫権に会ったが、孫権は魯粛がいくら龐統の登用を勧めても龐統を気に入らずにいた。龐統は職を求め劉備の元へと行き、田舎の県令の長官の仕事を手に入れる。しかし赴任すると毎日酒浸りの日々。劉備の命を受けて来た張飛が注意すると、一日にしてこれまで溜まってた仕事を一気に片付けてしまい、劉備は龐統を呼び寄せブレーンとして働かせるようになる。

曹操は西涼の馬騰を使って孫権を討とうとしていた。そして馬騰をも討ってしまおうと考えていた。しかし馬騰は黄奎との話し合いで曹操を討つことで一致。しかし黄奎が妻に曹操討伐の計画を話していたため妻と義弟の苗沢がねんごろな関係になっていたためそれを知った苗沢が曹操に密告。曹操は密告した苗沢の首さえ刎ね、関係する一族の首をも刎ねた。

父の馬騰を殺された息子の馬超は雪の中虎に襲いかかられる夢を見た。父の復讐に燃える馬超は韓遂と共にまずは長安城を落とす。曹軍の曹洪と徐晃がやって来る。西涼軍からは馬岱と龐聴がやって来る。曹洪は西涼軍の罵詈雑言に耐え切れず、城を守れとの命令に背き一人城の外へ出て行って戦い、その結果潼関は落とされ、徐晃は逃げなければならなかった。渭水をはさんで曹軍と西涼軍がにらみ合いし、悪口合戦も埒が明かず曹軍が筏を作って川を渡ると一気に西涼軍が攻め、曹操は命からがら逃げる羽目に。しかし曹軍が南山の牧場から牛馬を解放すると西涼軍の兵士たちが馬を自分のものにしようと、曹操を追うのを止めてしまった。その後西涼軍は何度も夜襲をかけ曹軍は空陣となった。曹軍が今度は地下城を造り始めると、馬超は城の上流に堰を作り河水を貯め水量が増してから堰を切って落とした。曹軍の地下城は失敗に終わる。その時夢梅老人が曹操に一夜城を造るアドバイスをする。水を打てば一夜にして氷の張った城が完成すると。それから許褚と馬超が戦い引き分け、馬超は曹操に和睦を申し出た。しかし曹操はそれを飲まず馬超と韓遂を「離間の計」により仲を引き離そうと考えた。曹操が韓遂に直接会い世間話をし、その後所々消してある手紙を韓遂に送り、馬超に韓遂が裏切ったと思わせる策。案の定馬超は韓遂が曹操と通じてると疑い出し、疑われ始めた韓遂も曹操側につき、馬超を斬ろうとした韓遂は馬超に左手を切り落とされ馬超は逃げて行った。曹操が西涼と戦っている間に、劉備や孫権が許都を狙う動きを見せているとの報告を受け、曹操は許都に戻った。

道教により国が治められている漢中では玉璽が出てくる。張魯は漢中と蜀の41州を合わせて大きくしてから王を名乗りたいと思い、蜀を討つことにする。その頃張松は長年書き溜めた蜀の地図を清書させ、それを魏の曹操の元へ行こうとしていた。魏と手を組んで漢中から蜀を守ってもらうためである。

呉の策士の周瑜が若くして亡くなってしまった。この時代皆若くして亡くなっている。風貌が優れないからと孫権に気に入られなかった龐統。劉備の元へとやってきて良かった。劉備の元には優秀な人たちが集っている。そういえば巻末の特集記事に著者の横山光輝とNHK人形劇三国志の川本喜八郎の対談が載っていてそれが面白かった。NHK人形劇三国志を探して観てみるのも面白そうと思いました。

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naonao

>nice!をいただき、皆様ありがとうございます。
by naonao (2024-01-24 09:44) 

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