項羽と劉邦2~進軍大反攻 [本]
「項羽と劉邦2~進軍大反攻」を読みました。
横山光輝のマンガ。
項羽は叔父の項梁と共に于英と桓楚を大将として招いた。項羽は廟の前にある鼎を押し倒し元に戻して持ち上げ勇者として認めてもらい、荒馬を手なずけ、虞姫を勧められるままに娶った。項羽が秦朝打倒のために北進すると六安(六県)の英布と出会う。彼は若い時に罪を犯し額に鯨(刺青)を入れられていたため鯨布とも呼ばれていた。また淮南の范増も軍師として迎えた。
秦では名将の章邯が反乱軍を討伐していた。陳勝は部下たちに殺され部下たちは秦に降伏した。鐘離昧は命に従い楚の末裔であるものを探す旅に出てその末裔を見つける。また劉邦や項羽もその頃お互いに顔を合わせていた。
秦では韓信が警備兵として雇われた。王侯の相があり天下を轟かすと言われていた(後に楚に仕え、漢で大将軍となる)その当時秦に歯向かっていたのは、楚、魏、韓、燕、趙、斉。秦はまず魏を滅しにかかると、魏は斉と楚に応援を頼み出兵してもらったが秦の前に倒れた。この時項羽も章邯と激戦。項羽には英布、桓楚、于英が助太刀した。秦は「緩兵の計」を用いたが楚に負け続けた。章邯が城に立て籠もる間、項羽の叔父項梁は雲梯や衝車(はしご車)を作らせ戦う。そのうち夜襲に遭って項梁は亡くなってしまう。残された項羽たちは逃げる章邯を追うが、秦軍は趙を攻め始めた。項羽は范増の進言で章邯を追うのを止め、懐王のいる都、盱胎(くい)に戻った。その後趙から支援要請され楚軍は出兵。長期戦になるも項羽は大将軍になり大活躍する。
巻末に「背水の陣」の3つが説明されていました。殷周の戦いの「背水の陣」、項羽の取った「背水の陣」、韓信の取った「背水の陣」。項羽の取った「背水の陣」では船を壊し沈め、食料は一人3日分を残し全て処分、飢えから助かる方法は秦軍を蹴散らして秦軍から食料を奪うこと。見事功を奏した。韓信の「背水の陣」は漢が趙を討つとき、通常兵法では川は前か左にしてして陣を敷くが、韓信は川を後ろにして陣を敷き追って来る趙軍を正面から捕らえ、空になった城には先に漢軍の旗を靡かせ挟み撃ちに。韓信の必死の策も功を奏しこれが最も有名な「背水の陣」となった。「背水の陣」がこの「項羽と劉邦」から来ている言葉であることを初めて知りました。
>nice!をいただき、皆様ありがとうございます。
by naonao (2024-02-29 09:00)