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項羽と劉邦4~鴻門の会 [本]

「項羽と劉邦4~鴻門の会」を読みました。

項羽と劉邦 4 (潮漫画文庫)

項羽と劉邦 4 (潮漫画文庫)

  • 作者: 横山 光輝
  • 出版社/メーカー: 潮出版社
  • 発売日: 2001/01/23
  • メディア: コミック

横山光輝のマンガ。

子嬰が降伏し秦は滅びる。子嬰が即位してわずか46日だった。劉邦は先に咸陽入りしたため漢中王となって当然だったがそうはいかなかった。後からやってきた項羽は既に自分の部下となっている元秦の兵士たちが劉邦に就くべきだったと話をしているのを耳にし、20万の兵士たちを殺した。劉邦は函谷関に兵を出して守らせ項羽の行く手を阻もうとするも結局開門し入場させる。項羽は鴻門に陣を張る。項羽は自分が漢中王になりたいため劉邦を討とうとするが、項羽の叔父である項伯は友人である張良が劉邦のところにいるため張良を逃がしてやりたいと知らせに行く。しかし張良は項伯に是非劉邦に会うようにと勧められそこで劉邦は項伯と話して鴻門にいる項羽を訪ねることに決める。

項羽の軍師である范増は絶えず劉邦を殺せと言い続け、項羽と劉邦の会話の時にもそれに難癖をつけて殺すヒントを項羽に授けるが失敗。その後剣舞を披露する項羽の部下が劉邦の命を狙うもそれを察知して項伯が相手をし、長くは続かないと見た張良は外に待機してた樊噲に後から入ってくるよう声掛けし、樊噲が後から入って来て項羽と相手する形で酒や肉を頂いている間に劉邦を逃がした。危機一髪であった。

張良は軍が弱く今は劉邦軍が項羽軍に太刀打ちできないため、ひたすらひれ伏すしかないと劉邦に言い、手に入れた玉璽を渡す約束もしていたため項伯のところに贈った。

劉邦に下った子嬰を項羽が連れて来いと言い出し、その命に従うと子嬰は処刑されてしまう。「沛公(劉邦の別名)仁厚、項羽残暴」と人々が言い始めた。項羽は懐王が言った一番乗りが関中王に就くと言う言葉を完全に無視し、項羽自ら西楚の覇王と名乗った。項羽は秦の財宝を探すため始皇帝の墓=始皇陵を掘り、地下宮殿を見つけ財宝を見つけ出した。30万人が30日かかっても運び出せないほどの財宝だった。始皇陵と阿房宮を燃やし秦が終わったことを見せつけたいと思った項羽だったが、民は乱暴な王だと失望した。阿房宮は3か月も燃え続けた。

項羽は劉邦に何も与えないのはまずいと考え、巴、蜀、漢中を与え漢王とした。これは左遷だった。しかし劉邦の部下たちはそうは考えず、絶交の場所を与えられたと考えた。張良は劉邦に知恵を授けて見送り項羽に疑いをもたれないように桟橋を燃やしてしまいアクセスしにくい場所を更にアクセスできないようにした。しかしそれが国造りのため、劉邦のためと思ってのことだった。

有名な「鴻門の会」が出てきました。項羽と劉邦が鴻門で会ったこと。ここで行われた宴会の様子がまるで「三国志」の劉備が劉璋を招いて開いた宴のようだった。剣舞で劉璋を殺そうとした劉備の部下たちが劉備の鶴の一声で止めたのを思わず思い出してしまいました。また少し前にテレビで古代中国「項羽と劉邦」の世界に関しての番組があり、そこで兵馬俑のテラコッタの焼き物が項羽が放った火によって焼けて変色していると見せてくれていました。兵馬俑は昔訪れてその大きさとその量に圧倒された記憶がありますが、焼けてしまって色が変色しているところまでは記憶が全くありません。今更ながらそういう歴史があったのかと思うことしきりです。また巻末には佐賀県の諸富市と佐賀市に徐福(不老不死の薬探し)関連の伝説があること、虞美人草、別名ひなげしの花は項羽の愛妾の虞美人が亡くなった時、血が滴ったところから生えたと言われてることや、京劇の「覇王別姫」は項羽と虞美人の別れの件を演じていると知りました。また鴻門宴遺址と函谷関を訪ねる旅も載っていてそれも面白かったです。映画「さらば、わが愛/覇王別姫」ドラマ「君、花海棠の紅にあらず」の演目、覇王別姫のそのタイトルの意味もこれでやっとわかりました。色々繋がって面白いです。

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naonao

>nice!をいただき、皆様ありがとうございます。
by naonao (2024-03-07 08:54) 

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