SSブログ

三国志 Three Kingdoms④  [中国ドラマ]

三国志 Three Kingdomsの続き④です。

三国志 Three Kingdoms 第7部-漢朝落日-ブルーレイvol.7 [Blu-ray]

三国志 Three Kingdoms 第7部-漢朝落日-ブルーレイvol.7 [Blu-ray]

  • 出版社/メーカー: エスピーオー
  • 発売日: 2012/06/27
  • メディア: Blu-ray

2010年の作品。IMDb評価は8.3。第7部。64話~73話まで。

劉備は部下を張松の出迎えにやり張松を厚くもてなすと、張松はすっかり曹操から劉備に鞍替えしてしまう。張松は自分の君主の劉璋を見限っており、自分の作った蜀の地図を劉備に贈りたいと思っていた。しかし劉備はこれを受け取らず、益州を獲るつもりはない。その後益州の使者の法正もきて益州を徳ある劉備のような人に守ってほしいと願い出てきた。法正も龐統も「劉璋を殺して蜀を獲るのがいい」というが、劉備は「同じ漢室の人を殺せない、同族の兄弟のような人を殺せない」という。「人、我に背けど我、人に背かず」という劉備。張魯が軍を率いてやってきたとき劉璋を助けるために劉備は兵を率いて荊州を出た。すると劉備の妻、孫小妹は母の病の見舞いに行くため子供も連れて江東に行ってしまう。招かれて戦っているのに劉璋から兵糧が届かなくなり、劉備は劉璋に手紙を書く。龐統は劉備の良馬を借り先頭に立ち、敵に劉備だと思わせ進んでいくと伏兵がいて矢に当たって死んでしまう。龐統は自分が死んで犠牲になることで蜀を攻める大義を作った。劉備はやっと蜀を攻めることを決心。関羽に荊州を守らせ、諸葛亮は劉備のところへ来る。関羽は「北は曹操を攻め、西は孫権と和すことだ」と諸葛亮に言われる。 劉璋が張魯に領地を割譲、劉備軍と戦わせようとする。張魯は西涼を失った馬超を送り出し、張飛と戦うことになる。なかなか決着がつかない対戦に、行き場のない馬超のことをお見通しの諸葛亮は馬超に「父、馬騰の意思を継ぐことができる」と言って投降させ、馬超を使って劉璋に城を明け渡させた。214年成都は陥落し、蜀を劉備が獲る。劉璋に最後までついてきた黄権を劉備は民生委員として登用。関羽、張飛、馬超、黄忠、趙雲の5人を五虎代将軍に任命する。

兄の諸葛瑾が諸葛亮を訪ねてやってきた。「荊州返還を約束してくれないと諸葛瑾一家が殺される」というのだ。劉備は荊州返還を約束する。荊州を守っている関羽は初めは頑固反対したが、折れることに。その頃曹操が魏王を名乗ると、ブレーンの荀彧は「曹操を王にすべきでない」と一人反対する。荀彧は「曹操は気概さえなくなった」と嘆きがっかりする。その後すぐ、天子のみが利用できる白馬門を曹植が使おうとすると、曹操は門番を切って殺し白馬門を無くした。それを観ていた荀彧は具合悪くなり倒れ曹操の命令で程昱が荀彧を見舞い、その際果物を持ってきたと木箱を置いていく。しかしその中身は空っぽで、その直後荀彧は自害する。曹操に反目する人たちが「曹操を殺し漢室を救え」「漢のために賊を殺す」と五鳳楼に火をつけ曹操を討とうとする。その時五鳳楼に駆け付けた人の首を刎ね、駆けつけなかった人には金20両を授けた。駆けつけていた曹丕がこの騒動に加わっていると疑われるも、司馬懿がその誤解を解きやっと曹操は曹丕を世継ぎとして認める。司馬懿は荊州を獲るように曹操に進言。曹操は孫権に一緒に劉備を討とうと手紙を書く。劉備も全軍で漢中を攻め荊州は空になっている状態で、孫権に一緒に曹操を討とうと手紙を出す。しかし孫権は曹操と劉備が戦い漁夫の利を狙い両者に軍も兵糧も出さない魂胆でいる。曹操側では黄中に夏侯淵が殺され、揚修も曹操の気持ちを汲み取った判断をしたと思ったのに(鶏の肋骨の合言葉を撤退と勘違い)怒りを買い曹操に殺される。219年漢中の戦い。曹操と劉備が戦い劉備が勝ち、この時から劉備は漢中王と名乗る。

関羽は諸葛亮に「荊州を守れ」と言われていたのに北の樊城へ出兵して手柄を獲ろうと考える。出発前に部下たちは酒を飲み出火させる。曹操側も出兵せざるを得ず。元は馬超の家来で劉備側だった龐聴が曹操に一度は位を貰ったのに位を取り上げられそうになり床に頭を打ち付けて血を流し、自分が出兵に加わるように懇願する。諸葛瑾が関羽のところにやってきて関羽の娘と孫権の息子の婚姻を提案。しかし関羽は孫権を酷く侮辱し断る。荊州がもぬけの殻となることを知り荊州を攻める孫権側。219年樊城の戦い。低い土地に陣を張った于禁や龐聴たちを水攻めにする。龐聴が投降しないので首を捕る。

関羽は毒矢に当たり腕を射やれる。名医華佗を連れて来て診てもらうと、毒の廻った肉を切り骨を削って薬を塗るがその治療中関羽は涼しい顔をして碁を打っていて、周りの人に驚かれる。負傷してもなお樊城に行くと言って聴かない関羽。孫権側では大都督の呂蒙が倒れ、その代理として陸遜が指揮をする。陸遜は「荊州を獲っても関羽を切ってはダメだ。関羽を切れば劉備が黙ってはいない」という。その頃孫権から手紙が来た曹操は徐晃に命令し、荊州を攻め関羽と戦っていた。その間具合が悪いと言っていた呂蒙は実は仮病で、呂蒙は荊州を獲ってしまう。関羽は腕の傷がまだ癒えず血も吐き麦城で赤兎馬から落ちる。関平も殺される中、関羽も追い詰められ自害する。58歳だった。その後呂蒙は孫権に関羽の首を持っていく。陸遜が建業に呼び戻され呂蒙が病に伏していると聞き見舞いに行くと、呂蒙は既に亡くなっていた。

孫権は曹操に関羽の首を贈る。劉備の怒りを呉でなく魏に向けるつもりなのだと考えた曹操だが、曹操は関羽を手厚く葬る。常日頃から頭痛持ちであった曹操は名医華佗を呼ぶが、頭を開けば頭痛が治せると言った華佗を投獄してしまう。また曹丕を魏王とするよう遺言を残し、曹操は66歳で人生に幕を下ろした。

龐統が亡くなり、荀彧が亡くなり、関羽が亡くなり、その養子関平も亡くなり、揚修も亡くなり、曹操も亡くなる。敵味方関係なくたくさんの人たちが次々亡くなっていくのが寂しくもありました。naonaoお勧め度★★★★★[王冠] ⑤に続きます。

[かわいい]おまけ:友人と浅草橋でランチしてきました。ランチは馥香(フーシャン)という中国料理店で。毎週ランチメニューが変わり4種の中から選べます。五島列島のタイのお料理を選びました。スープ、小皿と後からプーアール茶のゼリーが運ばれてきました。メチャクチャ美味しかった。大満足。

DSC_0018.JPG 

その後はLucite Cafe(ルーサイトカフェ)でお茶しました。ここ一体柳橋は昔花街で、このカフェはギャラリーも兼ねていて毎回その中身を変えていているそう。1階では絨毯のギャラリーが。2階がカフェ。2階は隅田川に面していて↓気持ちいい。

DSC_0020.JPG DSC_0021.JPG

部屋も昭和初期の建物↓なので雰囲気あって良かった。メチャクチャ落ち着けました。何でも市丸姐さんという芸者さんで歌手の方のお住まいだったところらしい。 

DSC_0022.JPG DSC_0023.JPG 

こちらは玄関↓。


DSC_0024.JPG DSC_0025.JPG DSC_0026.JPG

抹茶バナナシェイクを注文しましたが、建物や隅田川のテラスで気分良くなりシェイクの写真を撮るのはすっかり忘れました。

地名となっている柳橋の上から↓。船宿が残っていて情緒あります。友人の話では周りのビルがなければ山本周五郎の世界そのままだと言います。ちょっとした観光気分でした。

DSC_0028.JPG DSC_0029.JPG DSC_0030.JPG

nice!(17)  コメント(1) 
共通テーマ:映画

nice! 17

コメント 1

naonao

>nice!をいただき、皆様ありがとうございます。
by naonao (2023-11-11 10:27) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。