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大判三国志⑲馬謖の不覚  [本]

「大判三国志⑲馬謖の不覚」を読みました。

大判 三国志 19

大判 三国志 19

  • 作者: 横山光輝
  • 出版社/メーカー: 潮出版社
  • 発売日: 2018/07/25
  • メディア: 大型本

横山光輝のマンガ。

馬謖たちは水を求めて兵が下るもその兵は魏軍に投降して戻らず。その結果街亭は取られてしまう。諸葛亮は街亭が取られてしまうことを予想していた。そして西域へ行き西域の食糧を漢中に運ばせた。司馬懿は自ら軍を率いやってくるが、諸葛亮は城を掃き清め一人で琴を弾いていた。疑い深い司馬懿は何か諸葛亮が企んでいると思い、そのまま引き返してくる。その間に蜀側は逃げてくる。馬謖の功を焦り蜀を退避させた罪は重いとして、馬謖を死罪。諸葛亮は「泣いて馬謖を斬る」。その頃趙雲が具合悪く倒れた。長男の趙統と次男の趙広が趙雲の死を告げに諸葛亮のところへやってきた。

呉と魏の間で「石亭の戦い」が起こり戦った魏の曹休はその後背中のできものが原因で亡くなってしまう。諸葛亮は軍を立て直し再出陣。魏側では司馬懿に手柄を譲りたくない曹真が諸葛亮に対抗。諸葛亮のことろに靳詳が来て、陳倉城の守将の郝昭とは仲が良いので説き伏せると申し出たが説き伏せることができず。諸葛亮は衝車(馬が入り上の箱に兵が乗り矢を射る兵車)や雲梯(そのまま城壁に駆け上ることができる梯子車)を使い陳倉城を攻める。地下を掘って攻めようとしていたがそれに気づかれ水を流され痛手を負う。姜維は諸葛亮にあまりにも陳倉城に拘り過ぎなのではないかと進言され、一度祁山へ戻ることにする。

姜維は曹真に手紙を書く。「諸葛亮の策に掛かったため今は蜀にあっても心はいつも魏にあり、蜀の食糧に火をつけ蜀軍を挟み撃ちしよう」と曹真に持ち掛ける。曹真はこれを信じまんまと引っかかり、姜維のこの策で蜀は大勝する。ほどなくして魏側は蜀の食糧確保が難しいことに気づく。曹真は司馬懿のアドバイスを聞いて行動に移す。しかし諸葛亮は兵糧を運んでいると見せかけ魏の作戦を先に見破りその裏をかく作戦に打って出る。こちらから先に火をつけて挟み撃ちを仕掛けた。曹真は二度と攻めなくなり長期戦へと入ろうとすると、諸葛亮は退去すると言い出し、漢中へ退去する。司馬懿も諸葛亮のこの退去は先に見越していた。魏延は王双を討ってから引き揚げ、曹真も具合があまり良くなく洛陽へと引き上げた。

呉の孫権は魏や蜀に倣い自ら皇帝を名乗り、蜀にその承認を求めてくる。魏と組んで蜀を攻撃されても困るため蜀はすぐさまそれを認めた。陳倉城の郝昭は重病になり亡くなる。諸葛亮は今こそ討つべきと陳倉城へ赴き落城させる。また散閑も落とす。

呉の陸遜が魏を攻めるそぶりをしているため、魏は司馬懿に相談し司馬懿は曹真から印を授かり祁山へ出兵。しかし諸葛亮はその先を行き司馬懿の裏をかき、注目されていない2郡の武都と陰平を取る。それに気づいた司馬懿は兵を送っても遅かった。また張飛の息子である張苞が重傷となった。司馬懿は祁山の裏を狙うも諸葛亮がそれもすべてお見通しで既に十分の備えをしていた。司馬懿は歯が立たず引き返しお互いがにらみ合いに。埒が明かないため、諸葛亮は陣払いをした。行く行く兵糧問題が起こって来ると見込んでのことだった。司馬懿は後追いすれば諸葛亮が何か策を既に考えていてその策にまた引っかかると考え後追いすることはなかった。

「泣いて馬謖を斬る」諸葛亮。そして趙雲の死。諸葛亮はいよいよ司馬懿と対戦することになります。

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naonao

>nice!をいただき、皆様ありがとうございます。
by naonao (2024-02-20 10:06) 

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