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大判三国志㉑秋風五丈原  [本]

「大判三国志㉑秋風五丈原」を読みました。

大判 三国志 21 (希望コミックス)

大判 三国志 21 (希望コミックス)

  • 作者: 横山 光輝
  • 出版社/メーカー: 潮出版社
  • 発売日: 2018/09/25
  • メディア: 大型本

横山光輝のマンガ。

廖化(りょうか)は司馬懿の冠の落ちていた道に司馬懿が逃げたと判断するが、関羽ならきっと司馬懿の機智を読みとき反対側の分かれ道へ司馬懿が逃走したと読むだろうと考え、諸葛亮は将軍たちが小つぶになったと嘆いた。

曹叡自ら満寵を先陣に合肥へ出陣。呉は突然の魏の夜襲により莫大な船舶、武具、兵糧を失う。陸遜が孫権に書いた手紙を曹叡に取られてしまい、曹叡が動かぬうちに襄陽を目指して進撃していたが今度は撤退すべきという内容を読み、曹叡は陸遜の駆け引きのうまさに敵ながら天晴と感心する。

祁山の諸葛亮は司馬懿とにらみ合い、兵士にも田を耕せて長期戦の構え。魏延は相変わらず諸葛亮の悪口を陰で言っていて諸葛亮はそれを聞いている。諸葛亮は馬岱に葫蘆谷(ころこく)(上方谷)に秘密の陣=火の陣を作らせ、わざと蜀が負けるように見せかけおびき寄せる作戦に出た。案の定、谷に入って来た魏軍、そして最後には司馬懿も入って来ていよいよ諸葛亮は司馬懿を火で殺せるところまで追い詰めたのに、天は味方せず突然大雨が降って来た。司馬懿は雨に助けられ焼け死ぬこともなく命拾い。また普段から諸葛亮に不平不満を持っていた魏延は、司馬懿を引き込んだ時に一緒に命を落としそうになったことを孔明の策なのかと疑い始め不満をぶちまける。しかし諸葛亮は馬岱に注意して火をつけるよう注意したはずだと言い、馬岱を50杖の刑に処した。

諸葛亮は五丈原に陣を移す。そして司馬懿に女物の衣装を贈り「身を潜めているのがまるで婦女子のようだ」と手紙を書く。しかし司馬懿は怒らず笑って女の衣装を身にまとって部下たちに見せた。諸葛亮は多忙が祟り倒れてしまう。姜維を呼び星空を見上げながら自分の寿命がもう尽きることを話す。そして北斗七星に祈ることで寿命を延ばそうとしていたが、7日間蠟燭を灯していなければならない最後の日に、魏延が魏が攻めてくることを報告に来た時蝋燭が魏延によって消されてしまう。諸葛亮は自分の死が迫っていることを悟り、姜維に自分が書いた兵書を渡し、馬岱には魏延が謀反の心を示しても魏に走らせないように言い、楊儀には魏延が謀反を起こしたときの討ち方を記したものを入れた袋を渡す。自分が亡くなっても司馬懿に悟られないようにと諸葛亮の木像を作らせ、諸葛亮は54歳で亡くなった。この時星が流れ司馬懿も諸葛亮が亡くなったことを悟り兵を出すが、諸葛亮の木像で騙され撤退した。魏延は夢で自分の頭に角が生えている夢を見たがこれが凶夢であることを知らずにいた。諸葛亮亡き後、楊儀が軍権を握ると知り魏延は怒った。成都に戻るときに魏延は桟道を焼き「楊儀が諸葛亮の柩を奪って謀反を起こした」と陛下に奏上文を届ける。一方楊儀は間道を抜けて成都に到着。「魏延が謀反を起こした」と陛下に奏上文を届けた。魏延と楊儀の争い。楊儀側に姜維軍が味方した。諸葛亮の残した知恵袋には、『魏延に3度「わしを殺せるものがあるか?」と叫ばせるように』とあった。その言葉を言わせた途端、馬岱がすぐさま魏延の首を捕り魏延は亡くなった。

諸葛亮の遺言で墓は南鄭の要害定軍山に、北方を睨んで建てられた。また同じく諸葛亮の遺言で、待遇に不満を持っていた楊儀は官職は剥奪され庶民に落とされたが、それに耐えきれず楊儀は自害する。

諸葛亮の死後、魏では曹叡の気のゆるみをもたらした。豪華な宮殿を作り出し、少しでも反対意見を言うものなら部下の首を刎ねた。そんな時公孫淵が謀反を起こしたが司馬懿が止めに入った。曹叡は具合が悪くなり、8歳の子供曹芳を残して亡くなった。曹叡が亡くなるとすぐに曹芳が即位するが実権を持っていたのは曹爽だった。司馬懿は地位は高いが何の実権もない教育係である太傳という職だった。司馬懿は仮病を使い曹爽たちの気をたるませ、曹爽たちが狩りに出かけたところを司馬懿が本営を乗っ取った。司馬懿は世直しのために曹一族を追い出し謀反の罪を着せ、それを郭太后に認めてもらった。ここから司馬一族の時代が始まった。

夏侯覇が謀反を起こし郭淮が討つよう命令されるが、夏侯覇は蜀の姜維の元へと走った。姜維は魏を討つよう動き出し麴山のふもとに城を造る。しかし城は水を止められ包囲される。李歆(りきん)一人で援軍を頼みに行く。姜維が牛頭山へ向かい雍州の背後に回って長安を攻める策に出れば、相手の郭淮は引き返すはずだと見込んだが、郭淮は洮水へ、陳泰は牛頭山へと進んだ。姜維と陳泰は牛頭山で戦った(牛頭山の戦い)。その後郭淮や司馬懿も参戦。諸葛亮の発明した連弩(一度に十本もの矢が放たれ矢じりに毒がぬってある)が使われるも蜀は敗れ、城は落とされ撤退。その時司馬懿は病で倒れ亡くなる。司馬昭が権力を握りその後その子の司馬炎が新国家の晋を造った。姜維、蒋琬(しょうえん)、費禕(ひい)の3人が劉備と諸葛亮の遺志を継いだのだが、蒋琬はすぐに亡くなり、費禕は魏の降将に刺され亡くなったため、姜維一人が北伐を背負ったもののそれが果たせず。蜀は厭戦ムードであった。司馬昭が漢中へ進撃して、姜維は陛下に魏軍が押し寄せてくることを手紙で何度も出しても信用せず、陛下は酒と女に溺れる日々を送っていた。巫女の占いで魏が蜀の領土となると言われそれをそのまま信じていた。次々と魏軍に蜀の重要な場所を取られていった。最後剣閣が残った。剣閣は落とすのに難攻した。魏軍の鄧艾(とうがい)は陰平の間道を進み道を造り橋を架け突き進み、江油城、涪城、綿竹城と落としていった。綿竹城は諸葛孔明の子、諸葛瞻が守っていたがその子、尚と共に討ち死にをした。劉禅は魏に降伏するよう臣下に言われ降伏。それに反対したのが第5子の劉諶(りゅうしん)で、魏に下るくらいならと妻子共々自害した。蜀が滅亡し、劉禅は安楽公として魏から捨扶持をもらい65歳までのんびりと暮らした。

諸葛孔明が亡くなったあとはどうしてもその後の展開が読んでいてもあまり頭に入ってこない。あれだけ劉備や諸葛亮が苦労して手に入れた蜀が彼ら亡きあと易々と魏のものになってしまい、そのことが何と悔しくそして虚しいことか。何世代にも渡り戦った結果得たものは一体何だったのだろうと、思わず考えを巡らせてしまう。このマンガのお陰でかなり三国志が頭に入り、マンガを読むのは手っ取り早いしとってもいいなあと思いました。長かったけれど楽しかったです。ドラマ、マンガ、小説と三国志を堪能してきましたが、そろそろ卒業。三国志の世界を知ることができて本当に良かった。

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naonao

>nice!をいただき、皆様ありがとうございます。
by naonao (2024-02-24 14:52) 

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