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項羽と劉邦3~関中争奪戦  [本]

「項羽と劉邦3~関中争奪戦」を読みました。

項羽と劉邦 3 (潮漫画文庫)

項羽と劉邦 3 (潮漫画文庫)

  • 作者: 横山 光輝
  • 出版社/メーカー: 潮出版社
  • 発売日: 2001/01/23
  • メディア: コミック

横山光輝のマンガ。

秦では宦官の超高が我が世の春とばかり欲しいままに政治を動かし、皇帝には酒と女に溺れる生活をさせるままにしていた。片腕となっていた李斯(りし)にも濡れ衣を着せ殺害し、彼の一族郎党も殺した。自分の権威がどれほどのものかを知るために、鹿を馬と言いそれを正したものを死刑にした。ここから「馬鹿」の言葉が生まれる(現在使われている意味とは違う)函谷関に立て籠もっていて援軍を求める章邯の要請には何度も無視をし、章邯や史馬欣の妻子一族を捕えて首を刎ねた知らせを受けた章邯は絶望し、楚へ降伏する。項羽と劉邦は東西に分かれて咸陽を目指し、早く咸陽に辿り着いた者が将来関中王となることを楚王が宣言。劉邦は酈食其(れきいき)を迎え酈食其のアドバイスで張良を迎える準備をした。張良は若いころ帝王の師となると予言されていた軍師で、韓に仕えていたが秦を討つまで借りることにした。劉邦は人を殺すことを好まず、無血で城を明け渡すことに成功していった。一方項羽は殺して開城させ下ると言っている者たちをも殺していくと言う劉邦とは真逆なやり方で駒を進めた。

その頃咸陽では楚が攻めくることが皇帝の耳にも入り、超高は皇帝に自害を迫り扶蘇の子である子嬰(しえい)を立てる策を巡らす。しかしその策は子嬰の耳に入り、先に超高が子嬰に殺され子嬰は楚に和睦を申し込む。しかし劉邦はそれを振り切る。なぜなら嶢関(ぎょうかん)を攻め落とし咸陽まであと一歩のところまで来ていたからだ。

「馬鹿」という言葉が宦官の超高から来ていたとは。中国の歴史ものは言葉の語源のような話が散りばめられていているので面白いです。でも策を練り優秀な軍師や将軍を仲間にしていき、敵と戦い続けると言う感じが「三国志」と一緒で最後に行きつくその先は、兵どもの夢のあとみたいな感じがもう既に読めてしまっています。虚しい。でも最後まで読まずにいられません。

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