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項羽と劉邦7~張良の暗躍 [本]

「項羽と劉邦7~張良の暗躍」を読みました。

項羽と劉邦 7 (潮漫画文庫)

項羽と劉邦 7 (潮漫画文庫)

  • 作者: 横山 光輝
  • 出版社/メーカー: 潮出版社
  • 発売日: 2001/05/23
  • メディア: コミック

横山光輝のマンガ。

張良が戻り劉邦と再会。陸賈(りくか)は戻らず。申陽と魏豹(ぎぼう)の説得を張良が買って出る。また張良は項羽軍を斉に攻めさせるために、偽の檄文を書いて項羽に送る。斉が魏を攻めるという内容で、項羽の軍師、范増はそれを張良の策と見破っているも、楚は斉を攻め始める。

張良は最初、西魏王の魏豹を説得すると魏豹は漢に下った。次に河南王の申陽を説得に行くが、裏切る陸賈によって張良は捕らえられ楚軍の彭城の送り込まれそうになるが、仲間の樊噲(はんかい)に助けられる。陸賈も連れ戻り漢に仕えさせる。

項羽側では劉邦の一族を捕えようとしていたが、劉邦側は王陵を出兵させ山に住む周吉、周利の協力を得て劉邦一族を救いに行く。この時敵将英布たちが周吉、周利を殺し漢側は窮地に追い込まれるが援軍が来て見事劉邦一族を救う。項羽は王陵を手下にしたいと考え王陵が親孝行であることに目をつけ、王陵の母を捕える。

次に劉邦は東の殷王の司馬卬(しばごう)を討つ計画を立てる。戦って殷側は城に籠り、楚の援軍を待つことに。楚は斉と梁を討つため出兵していたが、殷が負ければ自分たちも不利になると考え援軍を出す。すると漢軍はいきなり退去し、項羽が咸陽へ兵を向けたための退去だと噂を流させた。殷は後追いをしたところ伏兵を置いていた漢に殷軍は総崩れ。殷は降伏することになった。

項羽軍は殷を助けに行くも途中で引き返し、そのため陳平は項羽の怒りを買う結果となり、陳平は漢に走り降伏してしまう。橋渡しの盗賊に遭いながら漢にたどり着き、友人の魏無知を訪ね彼を通じて劉邦に会い、参乗典軍(劉邦に陪乗させ軍を監察する任務)に抜擢されると、長く漢で働く者たちの不平不満が出た。

趙の張耳も漢に降下したいと、漢にはあちこちから降下するものが出てきた。

その頃軍が40万にもなり東征する(項羽を討つ)機運が高まった。しかし張良は反対した。それでも劉邦は出兵。道すがら三老に呼び止められ「大義名分なしに戦はできない」ことを言われ、洛陽で殺された義帝の喪を発表し式を執り行った。ここで韓信と張良は少し時期を待つべきと劉邦に言うが、劉邦は言っても聞かなった。韓信は自ら咸陽 を守らせてほしいと言い、大元帥の印を返す。張良は亡き韓王の孫の姫信に封爵を与え漢の臣にすれば陳留を守ることができるのでそれを一刻も早く伝えに行きたいと劉邦の元を去って行った。そこで劉邦は周りの意見を聞かず魏豹を大元帥にした。

項羽はその頃、斉を攻め勝手に斉王を名乗っていた。項羽は英布に援軍を要請したが英布は仮病を使い出兵せず。英布は項羽に仕えることに辟易していた。

巻末には劉邦の故里の沛県の旅が載っていました。杯を手にし「大風歌」を歌う劉邦像があり、狗肉=犬の肉を食べさせるレストランがあり(韓国でも犬を食べさせるレストランがあったことを思い出した)、沛県の博物館は真っ暗で説明書もない等。また悲劇の名将、韓信のことも。今も漢中市に残る「拝将台」は韓信の大元帥の任命式を行ったその遺跡であること、「史記」を書いた司馬遷が取材に当たった時には韓信が亡くなって100年経たないころで、韓信はチンピラに絡まれた時に言われるままにその股の下を潜ったけれど、後にこのチンピラを呼び中尉に任命したこと、また飯を韓信に恵んでくれた老女には後に千金を与えたなどのエピソードが加えられているとのこと。また韓信の「背水の陣」や後に斉王になりその後楚王になり侯に格下げされ、漢帝国成立後の5年後に都長安でクーデターを起こし処刑された最後まで書かれてました。

全12巻のこの「項羽と劉邦」のもう後半に入りましたが、巻末の文章で韓信のこの先が暴露された形となりました。最後彼がクーデターを起こ処刑されるなんてちょっと残念。ここまで読んで劉邦はたくさんの才能ある部下を登用してきましたが、特にその部下の張良と韓信の二人の活躍は素晴らしい。ブレーンが大切であることは「三国志」も「項羽と劉邦」も変わらないなあと思いました。

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