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項羽と劉邦2~進軍大反攻 [本]

「項羽と劉邦2~進軍大反攻」を読みました。

項羽と劉邦 2 (潮漫画文庫)

項羽と劉邦 2 (潮漫画文庫)

  • 作者: 横山 光輝
  • 出版社/メーカー: 潮出版社
  • 発売日: 2000/11/22
  • メディア: コミック

横山光輝のマンガ。

項羽は叔父の項梁と共に于英と桓楚を大将として招いた。項羽は廟の前にある鼎を押し倒し元に戻して持ち上げ勇者として認めてもらい、荒馬を手なずけ、虞姫を勧められるままに娶った。項羽が秦朝打倒のために北進すると六安(六県)の英布と出会う。彼は若い時に罪を犯し額に鯨(刺青)を入れられていたため鯨布とも呼ばれていた。また淮南の范増も軍師として迎えた。

秦では名将の章邯が反乱軍を討伐していた。陳勝は部下たちに殺され部下たちは秦に降伏した。鐘離昧は命に従い楚の末裔であるものを探す旅に出てその末裔を見つける。また劉邦や項羽もその頃お互いに顔を合わせていた。

秦では韓信が警備兵として雇われた。王侯の相があり天下を轟かすと言われていた(後に楚に仕え、漢で大将軍となる)その当時秦に歯向かっていたのは、楚、魏、韓、燕、趙、斉。秦はまず魏を滅しにかかると、魏は斉と楚に応援を頼み出兵してもらったが秦の前に倒れた。この時項羽も章邯と激戦。項羽には英布、桓楚、于英が助太刀した。秦は「緩兵の計」を用いたが楚に負け続けた。章邯が城に立て籠もる間、項羽の叔父項梁は雲梯や衝車(はしご車)を作らせ戦う。そのうち夜襲に遭って項梁は亡くなってしまう。残された項羽たちは逃げる章邯を追うが、秦軍は趙を攻め始めた。項羽は范増の進言で章邯を追うのを止め、懐王のいる都、盱胎(くい)に戻った。その後趙から支援要請され楚軍は出兵。長期戦になるも項羽は大将軍になり大活躍する。

巻末に「背水の陣」の3つが説明されていました。殷周の戦いの「背水の陣」、項羽の取った「背水の陣」、韓信の取った「背水の陣」。項羽の取った「背水の陣」では船を壊し沈め、食料は一人3日分を残し全て処分、飢えから助かる方法は秦軍を蹴散らして秦軍から食料を奪うこと。見事功を奏した。韓信の「背水の陣」は漢が趙を討つとき、通常兵法では川は前か左にしてして陣を敷くが、韓信は川を後ろにして陣を敷き追って来る趙軍を正面から捕らえ、空になった城には先に漢軍の旗を靡かせ挟み撃ちに。韓信の必死の策も功を奏しこれが最も有名な「背水の陣」となった。「背水の陣」がこの「項羽と劉邦」から来ている言葉であることを初めて知りました。

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項羽と劉邦1~秦の始皇帝 [本]

横山光輝のマンガ「項羽と劉邦1~秦の始皇帝」を読みました。

項羽と劉邦 1 (潮漫画文庫)

項羽と劉邦 1 (潮漫画文庫)

  • 作者: 横山 光輝
  • 出版社/メーカー: 潮出版社
  • 発売日: 2000/11/22
  • メディア: コミック

横山光輝のマンガ「三国志」を読んでマンガでサラリと歴史ものを読むのはいいなあと思いました。しかも横山光輝は「鉄人28号」「魔法使いサリー」「バビル2世」も描いた漫画家だと知り、なるほど言われてみればマンガの顔などどれも似てるなあと思いました。「項羽と劉邦」は秦の始皇帝亡き後の項羽と劉邦の権力争いの話です。司馬遼太郎も「項羽と劉邦」を書いているのでこのあと読みたいと思っています。

秦の始皇帝は徐福に命令を下し不老不死の薬を探させる。しかしなかなか戻らないため盧生に今度は徐福を探させる。盧生は東崋山の仙人に会いに行き「天籙秘訣」という書物を貰って戻り、「胡が秦を滅す」という文字だけが読めたため始皇帝は胡からの攻撃を防ぐため万里の長城を築く(実は胡は胡でも第二皇帝の胡亥により秦は滅ぼされたことが後からわかる)また始皇帝は儒教者が書を引用して政治批判を繰り返すのを見ていられず、書を焼き儒者を捕えて見せしめのために生き埋めにした。~「焚書坑儒」

張良は友人と共に秦の始皇帝を暗殺しようとするが失敗し、友人は自害に追い込まれる。張良はある老人に出会い3巻の秘書を授けてもらう。項羽もまた父を亡くし叔父と共に始皇帝の首を狙っていた。

始皇帝が50歳で亡くなると宦官の超高が意のままに政治を司りたい気持ちから、始皇帝の「第二皇帝は扶蘇に」という遺言を無視し、胡亥を皇帝にした。李斯と共に扶蘇を自害させ始皇帝の関係者は皆殺していった。民は始皇帝の時代より苦しい状況にさせられ不満は溜まっていく一方だった。

劉邦は酒と女が好きでまた人相が良く、股に貴重なほくろが72あるということで呂文は自分の娘、呂雉(りょち)を貰ってくれと劉邦に頼むと劉邦は快諾(呂雉は悪女列伝に名を連ねる悪女。また彼女の産んだ長男は後の二世皇帝の孝恵)。劉邦の友人の樊噌(はんかい)がその場にくると、呂文は樊噌の人相の良さにも気づき、次女の呂須も樊噌の嫁にと差し出した。劉邦は秦国の公共工事のために人夫を連れて行く役があり、遅れたら命がなく行ったら最後生きて戻るものはないと聞き、芒陽山に人夫たちと隠れることにした。劉邦は山に入るときに勇敢にも大蛇を殺したことが広まり、あっという間に数百人の親分となった。あちこちで反秦の反乱を起こす農民たちがいて、陳勝もその一人だった。沛県が秦に反旗を翻すとそこに参加することにした劉邦だったが門の閉まっているところに矢文を出すと開門され県令の首が差し出されていきなり劉邦は県令になってほしいとお願いされるのだった。その頃、項羽は殷通を倒し会稽(かいけい)城を乗っ取り反秦の旗揚げをしていた。

巻末に載っていたのは和歌山県の新宮市は徐福の街だというものでした。不老不死の薬を求めて日本にやってきた徐福は新宮市に来て、その像、碑、墓が新宮市にあるとのこと。クスノキ科の常緑灌木の天台烏薬の木もあるとのこと。面白いです。

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大判三国志㉑秋風五丈原  [本]

「大判三国志㉑秋風五丈原」を読みました。

大判 三国志 21 (希望コミックス)

大判 三国志 21 (希望コミックス)

  • 作者: 横山 光輝
  • 出版社/メーカー: 潮出版社
  • 発売日: 2018/09/25
  • メディア: 大型本

横山光輝のマンガ。

廖化(りょうか)は司馬懿の冠の落ちていた道に司馬懿が逃げたと判断するが、関羽ならきっと司馬懿の機智を読みとき反対側の分かれ道へ司馬懿が逃走したと読むだろうと考え、諸葛亮は将軍たちが小つぶになったと嘆いた。

曹叡自ら満寵を先陣に合肥へ出陣。呉は突然の魏の夜襲により莫大な船舶、武具、兵糧を失う。陸遜が孫権に書いた手紙を曹叡に取られてしまい、曹叡が動かぬうちに襄陽を目指して進撃していたが今度は撤退すべきという内容を読み、曹叡は陸遜の駆け引きのうまさに敵ながら天晴と感心する。

祁山の諸葛亮は司馬懿とにらみ合い、兵士にも田を耕せて長期戦の構え。魏延は相変わらず諸葛亮の悪口を陰で言っていて諸葛亮はそれを聞いている。諸葛亮は馬岱に葫蘆谷(ころこく)(上方谷)に秘密の陣=火の陣を作らせ、わざと蜀が負けるように見せかけおびき寄せる作戦に出た。案の定、谷に入って来た魏軍、そして最後には司馬懿も入って来ていよいよ諸葛亮は司馬懿を火で殺せるところまで追い詰めたのに、天は味方せず突然大雨が降って来た。司馬懿は雨に助けられ焼け死ぬこともなく命拾い。また普段から諸葛亮に不平不満を持っていた魏延は、司馬懿を引き込んだ時に一緒に命を落としそうになったことを孔明の策なのかと疑い始め不満をぶちまける。しかし諸葛亮は馬岱に注意して火をつけるよう注意したはずだと言い、馬岱を50杖の刑に処した。

諸葛亮は五丈原に陣を移す。そして司馬懿に女物の衣装を贈り「身を潜めているのがまるで婦女子のようだ」と手紙を書く。しかし司馬懿は怒らず笑って女の衣装を身にまとって部下たちに見せた。諸葛亮は多忙が祟り倒れてしまう。姜維を呼び星空を見上げながら自分の寿命がもう尽きることを話す。そして北斗七星に祈ることで寿命を延ばそうとしていたが、7日間蠟燭を灯していなければならない最後の日に、魏延が魏が攻めてくることを報告に来た時蝋燭が魏延によって消されてしまう。諸葛亮は自分の死が迫っていることを悟り、姜維に自分が書いた兵書を渡し、馬岱には魏延が謀反の心を示しても魏に走らせないように言い、楊儀には魏延が謀反を起こしたときの討ち方を記したものを入れた袋を渡す。自分が亡くなっても司馬懿に悟られないようにと諸葛亮の木像を作らせ、諸葛亮は54歳で亡くなった。この時星が流れ司馬懿も諸葛亮が亡くなったことを悟り兵を出すが、諸葛亮の木像で騙され撤退した。魏延は夢で自分の頭に角が生えている夢を見たがこれが凶夢であることを知らずにいた。諸葛亮亡き後、楊儀が軍権を握ると知り魏延は怒った。成都に戻るときに魏延は桟道を焼き「楊儀が諸葛亮の柩を奪って謀反を起こした」と陛下に奏上文を届ける。一方楊儀は間道を抜けて成都に到着。「魏延が謀反を起こした」と陛下に奏上文を届けた。魏延と楊儀の争い。楊儀側に姜維軍が味方した。諸葛亮の残した知恵袋には、『魏延に3度「わしを殺せるものがあるか?」と叫ばせるように』とあった。その言葉を言わせた途端、馬岱がすぐさま魏延の首を捕り魏延は亡くなった。

諸葛亮の遺言で墓は南鄭の要害定軍山に、北方を睨んで建てられた。また同じく諸葛亮の遺言で、待遇に不満を持っていた楊儀は官職は剥奪され庶民に落とされたが、それに耐えきれず楊儀は自害する。

諸葛亮の死後、魏では曹叡の気のゆるみをもたらした。豪華な宮殿を作り出し、少しでも反対意見を言うものなら部下の首を刎ねた。そんな時公孫淵が謀反を起こしたが司馬懿が止めに入った。曹叡は具合が悪くなり、8歳の子供曹芳を残して亡くなった。曹叡が亡くなるとすぐに曹芳が即位するが実権を持っていたのは曹爽だった。司馬懿は地位は高いが何の実権もない教育係である太傳という職だった。司馬懿は仮病を使い曹爽たちの気をたるませ、曹爽たちが狩りに出かけたところを司馬懿が本営を乗っ取った。司馬懿は世直しのために曹一族を追い出し謀反の罪を着せ、それを郭太后に認めてもらった。ここから司馬一族の時代が始まった。

夏侯覇が謀反を起こし郭淮が討つよう命令されるが、夏侯覇は蜀の姜維の元へと走った。姜維は魏を討つよう動き出し麴山のふもとに城を造る。しかし城は水を止められ包囲される。李歆(りきん)一人で援軍を頼みに行く。姜維が牛頭山へ向かい雍州の背後に回って長安を攻める策に出れば、相手の郭淮は引き返すはずだと見込んだが、郭淮は洮水へ、陳泰は牛頭山へと進んだ。姜維と陳泰は牛頭山で戦った(牛頭山の戦い)。その後郭淮や司馬懿も参戦。諸葛亮の発明した連弩(一度に十本もの矢が放たれ矢じりに毒がぬってある)が使われるも蜀は敗れ、城は落とされ撤退。その時司馬懿は病で倒れ亡くなる。司馬昭が権力を握りその後その子の司馬炎が新国家の晋を造った。姜維、蒋琬(しょうえん)、費禕(ひい)の3人が劉備と諸葛亮の遺志を継いだのだが、蒋琬はすぐに亡くなり、費禕は魏の降将に刺され亡くなったため、姜維一人が北伐を背負ったもののそれが果たせず。蜀は厭戦ムードであった。司馬昭が漢中へ進撃して、姜維は陛下に魏軍が押し寄せてくることを手紙で何度も出しても信用せず、陛下は酒と女に溺れる日々を送っていた。巫女の占いで魏が蜀の領土となると言われそれをそのまま信じていた。次々と魏軍に蜀の重要な場所を取られていった。最後剣閣が残った。剣閣は落とすのに難攻した。魏軍の鄧艾(とうがい)は陰平の間道を進み道を造り橋を架け突き進み、江油城、涪城、綿竹城と落としていった。綿竹城は諸葛孔明の子、諸葛瞻が守っていたがその子、尚と共に討ち死にをした。劉禅は魏に降伏するよう臣下に言われ降伏。それに反対したのが第5子の劉諶(りゅうしん)で、魏に下るくらいならと妻子共々自害した。蜀が滅亡し、劉禅は安楽公として魏から捨扶持をもらい65歳までのんびりと暮らした。

諸葛孔明が亡くなったあとはどうしてもその後の展開が読んでいてもあまり頭に入ってこない。あれだけ劉備や諸葛亮が苦労して手に入れた蜀が彼ら亡きあと易々と魏のものになってしまい、そのことが何と悔しくそして虚しいことか。何世代にも渡り戦った結果得たものは一体何だったのだろうと、思わず考えを巡らせてしまう。このマンガのお陰でかなり三国志が頭に入り、マンガを読むのは手っ取り早いしとってもいいなあと思いました。長かったけれど楽しかったです。ドラマ、マンガ、小説と三国志を堪能してきましたが、そろそろ卒業。三国志の世界を知ることができて本当に良かった。

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大判三国志⑳蜀魏の死闘  [本]

「大判三国志⑳蜀魏の死闘」を読みました。

大判 三国志 20

大判 三国志 20

  • 作者: 横山 光輝
  • 出版社/メーカー: 潮出版社
  • 発売日: 2018/08/25
  • メディア: 大型本

横山光輝のマンガ。

諸葛亮たちは30里ずつ退く中、司馬懿はやっと動きを見せ後を追うことに。諸葛亮の狙いは本陣にあったが本陣は取ることができなかった。司馬懿たちは何とか本陣を守り抜く。張苞が亡くなったと言う知らせが諸葛亮に届く。諸葛亮自身も具合が悪く血を吐き10日間寝込むことになり蜀は漢中に引き返す。

劉曄は帝との会話で「蜀を討つべし」と言う。しかし周りのものが劉曄に問いただすと劉曄はそれを否定する。本心がわからない帝は劉曄を一人呼び出し本心を聞くと、劉曄は「機密ならば宮人たちに聞かれても隠し通してほしい」と願い出る。司馬懿も諸葛亮が病のうちに蜀を討つべしと考え、曹真と共に出兵する。

その頃諸葛亮の病は癒え、長雨を予想し陳倉城を取り壊し米などの備蓄を進めていた。司馬懿も長雨を予想し撤退する。その後諸葛亮は祁山を取る作戦を考えるが、その考えに司馬懿は気づき、通り道の箕谷で司馬懿が、また斜谷で曹真が諸葛亮を待ち伏せる作戦に出る。曹真は諸葛亮の策で偽の軍曹たちに命を狙われそうになったが、司馬懿に助けられ何とか命拾いをする。一方魏延や陳式は諸葛亮の命令に背き、どんどん進撃して兵の命を取られてしまい、陳式は命に背いた廉で打ち首となる。

諸葛亮は曹真に手紙を出し、その手紙を読んだ曹真は興奮のあまり亡くなってしまう。また司馬懿は諸葛亮に手紙で決戦の申し込みをする。そして両者が対決すると、諸葛亮は八卦の陣を使い司馬懿たちをこてんぱんにしてしまう。

諸葛亮側では兵糧が届くのが遅れ困っていたが、その責任者の苟安(こうあん)は諸葛亮に八十杖の打ちすえの刑で罰せられる。それを不服として苟安は魏に投降。司馬懿は諸葛亮が謀反を起こし蜀の帝位を狙っているとの噂を流し、陛下が成都に戻るようにとの命令を受け即刻諸葛亮は成都に戻ることに。しかし諸葛亮はただで戻るわけでなく、戻る際に竈の数を戻れば戻るほど増やしていった。「司馬懿は良くものを知っているからその人間を謀るにはその人間の知識の裏を行くことが策となる」と諸葛亮。諸葛亮は司馬懿の裏をかき司馬懿に追わせないようにした。

成都に戻って劉禅に会い、誤解を解いた後再び祁山へ戻る諸葛亮。隴西で麦を収穫し持久戦へと挑む。麦野の戦いでは、北斗七星の旗を靡かせ影武者の諸葛亮をたくさん用意し、司馬懿たちが馬で追わせてもなかなか捕らえることができない。終いには司馬懿たちは諸葛亮が幻術を使っているのではないかと思う始末。鹵城(ろじょう)にいる諸葛亮を司馬懿たちが取り囲み、それをまた諸葛亮軍が取り囲んだ。司馬懿も上邽城に閉じこもってしまう。諸葛亮のところに李厳から手紙が来る。呉と魏が組んだことを知らせる手紙だったため国を守るために撤退。撤退するときには張郃(ちょうこう)に追撃されるが張郃は諸葛亮の罠にかかり亡くなる。李厳の手紙は李厳が兵糧を集められないために責任逃れをしたくて出した手紙であったことがわかり、諸葛亮は李厳の官職を剥ぎ庶民に落とした。そしてその子、李豊を兵糧調達係にする。再び成都を離れ祁山へ向かうが、その間関興が病死する。司馬懿も夏侯淵の息子4人を連れて出兵。諸葛亮と司馬懿は渭水をはさんで対峙をした。

諸葛亮は大量の筏を作り松柴と草たばを用意していたが、司馬懿に策を見破られ諸葛亮軍は痛手を負う。諸葛亮は呉の孫権に動いてもらうために手紙を書く。その時魏から鄭文が諸葛亮のところに来て投降すると言う。その後を秦朗が追ってきたため、諸葛亮は鄭文に秦朗と戦い秦朗の首を差し出すように命令。鄭文は秦朗の首を差し出すがそれは偽物であった。実は司馬懿の策でありそれがバレると鄭文は捕まり牢の中へ。そして鄭文に司馬懿宛に手紙を書かせると見事司馬懿は諸葛亮の策に引っかかり秦朗は処罰されることとなる。

兵糧が剣閣で山積みとなって祁山まで道悪くうまく運べないため、諸葛亮は木牛流馬を葫蘆谷(ごろくだに)の大工たちに作らせる。それを利用して兵糧を運んでいると司馬懿たちが木牛流馬を盗み司馬懿たちはこれを使って自分たちも兵糧を運び出した。そこで諸葛亮側も司馬懿たちを襲い木牛流馬に車止めをつけていたため動かなくすることができると、司馬懿の下にいる郭淮軍は魔神軍だ妖怪だと気味悪がって戦う気を逸した。

張飛の息子張苞も、関羽の息子関興も亡くなってしまった。張飛や関羽の代わりの若い世代に少しは慰められていたけれど、こんなに早く亡くなってしまうなんて。きっと20代の若さで亡くなったのでしょう。残念です。諸葛亮の八卦の陣や木牛流馬を使った兵糧運び、それに車止めをつけ敵をビビらせるその手腕。知恵があって格好いいぞ、諸葛亮!と言う感じです。このマンガを読んで劉備玄徳より諸葛孔明のほうが好きになりました。

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大判三国志⑲馬謖の不覚  [本]

「大判三国志⑲馬謖の不覚」を読みました。

大判 三国志 19

大判 三国志 19

  • 作者: 横山光輝
  • 出版社/メーカー: 潮出版社
  • 発売日: 2018/07/25
  • メディア: 大型本

横山光輝のマンガ。

馬謖たちは水を求めて兵が下るもその兵は魏軍に投降して戻らず。その結果街亭は取られてしまう。諸葛亮は街亭が取られてしまうことを予想していた。そして西域へ行き西域の食糧を漢中に運ばせた。司馬懿は自ら軍を率いやってくるが、諸葛亮は城を掃き清め一人で琴を弾いていた。疑い深い司馬懿は何か諸葛亮が企んでいると思い、そのまま引き返してくる。その間に蜀側は逃げてくる。馬謖の功を焦り蜀を退避させた罪は重いとして、馬謖を死罪。諸葛亮は「泣いて馬謖を斬る」。その頃趙雲が具合悪く倒れた。長男の趙統と次男の趙広が趙雲の死を告げに諸葛亮のところへやってきた。

呉と魏の間で「石亭の戦い」が起こり戦った魏の曹休はその後背中のできものが原因で亡くなってしまう。諸葛亮は軍を立て直し再出陣。魏側では司馬懿に手柄を譲りたくない曹真が諸葛亮に対抗。諸葛亮のことろに靳詳が来て、陳倉城の守将の郝昭とは仲が良いので説き伏せると申し出たが説き伏せることができず。諸葛亮は衝車(馬が入り上の箱に兵が乗り矢を射る兵車)や雲梯(そのまま城壁に駆け上ることができる梯子車)を使い陳倉城を攻める。地下を掘って攻めようとしていたがそれに気づかれ水を流され痛手を負う。姜維は諸葛亮にあまりにも陳倉城に拘り過ぎなのではないかと進言され、一度祁山へ戻ることにする。

姜維は曹真に手紙を書く。「諸葛亮の策に掛かったため今は蜀にあっても心はいつも魏にあり、蜀の食糧に火をつけ蜀軍を挟み撃ちしよう」と曹真に持ち掛ける。曹真はこれを信じまんまと引っかかり、姜維のこの策で蜀は大勝する。ほどなくして魏側は蜀の食糧確保が難しいことに気づく。曹真は司馬懿のアドバイスを聞いて行動に移す。しかし諸葛亮は兵糧を運んでいると見せかけ魏の作戦を先に見破りその裏をかく作戦に打って出る。こちらから先に火をつけて挟み撃ちを仕掛けた。曹真は二度と攻めなくなり長期戦へと入ろうとすると、諸葛亮は退去すると言い出し、漢中へ退去する。司馬懿も諸葛亮のこの退去は先に見越していた。魏延は王双を討ってから引き揚げ、曹真も具合があまり良くなく洛陽へと引き上げた。

呉の孫権は魏や蜀に倣い自ら皇帝を名乗り、蜀にその承認を求めてくる。魏と組んで蜀を攻撃されても困るため蜀はすぐさまそれを認めた。陳倉城の郝昭は重病になり亡くなる。諸葛亮は今こそ討つべきと陳倉城へ赴き落城させる。また散閑も落とす。

呉の陸遜が魏を攻めるそぶりをしているため、魏は司馬懿に相談し司馬懿は曹真から印を授かり祁山へ出兵。しかし諸葛亮はその先を行き司馬懿の裏をかき、注目されていない2郡の武都と陰平を取る。それに気づいた司馬懿は兵を送っても遅かった。また張飛の息子である張苞が重傷となった。司馬懿は祁山の裏を狙うも諸葛亮がそれもすべてお見通しで既に十分の備えをしていた。司馬懿は歯が立たず引き返しお互いがにらみ合いに。埒が明かないため、諸葛亮は陣払いをした。行く行く兵糧問題が起こって来ると見込んでのことだった。司馬懿は後追いすれば諸葛亮が何か策を既に考えていてその策にまた引っかかると考え後追いすることはなかった。

「泣いて馬謖を斬る」諸葛亮。そして趙雲の死。諸葛亮はいよいよ司馬懿と対戦することになります。

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